長門市仙崎と金子みすゞの宇宙
5年程前、山口県の長門市を車で旅をした。渚百選にも選ばれた青海島を観光し長門湯本温泉で宿泊する予定の1泊2日の小旅行だった。仙崎は旅の通過点にあった。日本海に面した仙崎は青海島と中国山地に挟まれどこか時代の流れに取り残されたようなひっそりとした小さな漁師町だった。昔は捕鯨基地として有名だったという。
仙崎は金子みすゞが生まれ、彼女の珠玉の詩の多くは仙崎の町を心象風景としして生まれた。当時の私は金子みすゞについて詳しくなかったけどたまたまテレビで見た彼女の詩
つもった雪
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。
から受けた感銘が鮮烈だった。素朴で優しい詩だが「なかの雪」という視点がユニークで独自の宇宙を持っている。彼女の名前は脳裏に焼きついていた。仙崎で「みすゞ公園」という名前の案内板を眼にしたとき「みすゞ」と「仙崎」がはじめて結びついた。しかしこのときは街の中をゆっくりと散策する心の余裕もなくこの地を通り過ぎてしまった。
今年8月27日TBSで金子みすゞの生涯「明るいほうへ 明るいほうへ」がテレビ放送された。26歳の若さで自死した薄倖の天才詩人の生涯を描いておりドラマとしても良くできていた。夕暮れ下関の駅で憧れの詩の師匠西條八十と会うため粗末な普段着で我が児を背に負って人目を憚るように慎ましく佇んでいる映像は印象深かった。テレビの映像に在る仙崎は大正、昭和初期の風景であった。今から5年前に通リ過ぎた仙崎の光景が私のなかにフラッシュバックしてきた。
21世紀の日本に生きる人達の心は乾いている。勝ち組み負け組み、リストラ、効率優先、変化は激しくヒトの心は病み他を思いやる優しさは失われつつある。コンクリートの高層ビルと舗装された高速道路、携帯電話の喧騒は詩の童心を断絶する。金子みすゞの詩の世界は小鳥、花などから雪、土など生命を宿さないものまでやわらかな優しさで包み込む。まるで仏の慈悲のようだ。ここ数年みすゞブームがおきている。今回のテレビドラマの放送に加え今秋には映画も上映される。ブームは加熱するだろう。みすゞの詩を語るとき絶対的優しさが取り上げられ彼女の不幸な生涯とオーバーラップし大きな感動を呼ぶが夭折した若き詩人のすごさはその詩に観られる直観的宇宙観である。詩を構成する空から地面、雲、雪から小動物、人まであらゆるものや事象が人間の視座でない超越的な視点(仏の眼差し)でとらえられている。日常のなかに沈潜したかのようにみえる死が静かに鋭く見据えられている。
5年前 なにげなく通り過ぎてしまった海と低い家並みとお寺 日本の原風景 山口県長門市仙崎をゆっくり散策してみたい。