究極の司法書士事務所
筆者が司法書士試験に合格してから随分時が経つが、当時は日本経済も高度経済成長期で、分譲マンションや郊外大型住宅団地が青天井で増えており、登記件数も増加の一途であった。当然のように司法書士事務所も景気がすこぶるよかった。
筆者も不動産鑑定士の資格は取得していたが、社会的な認知度が当時はまだ低く、正直、この資格だけでは食えないと思い、司法書士を狙ったわけだが、合格後も実務経験がないため、開業前に面識もない司法書士事務所に頼み込んで1ヶ月ほど業務補助をして仕事を覚えようと決めた。
頼み込んだ先の先生は、筆者のそんな虫の良い頼みを快諾してくれた。40代半ばの先生と、業務補助の30代の女性という構成の当該事務所は、郊外の法務局出張所前に事務所があった。事務所のスペースは10坪程度、よくある法務局前のハーモニカ長屋の一角で何の変哲もない司法書士事務所といった外観である。当時はPCなど世に存在しない時代で、ワープロもなかった。あるのは和文タイプライターとコピー機、FAXのみ、書類整理ケースは申請書が類型別に分類、格納されているという状態。
先生は気さくな方で時折、来客者と雑談をされ、和文タイプライターを超高速で打ち、打ちあがった書類を千枚通しで穴を開け、紙縒りで申請書類を成本しておられたが、その行程は寸分の無駄もなかった。一連の流れはトヨタの「カイゼン」も凌駕したであろう。業務補助の女性は、プロ意識が高い無口な方で黙々と分担された仕事をこなしておられた。その状況だけ見るとおそらく当時の一般的な司法書士事務所の光景といえた。
しかし筆者が感嘆したのは、その低費用と売り上げの相関である。年間の事件数と1件当たり報酬単価から計算された年間売り上げは、現在の貨幣価値で1億円に相当する。一方、ハーモニカ長屋の事務所の家賃に職員の人件費を合わせても月20万程度、事務消耗品や会費などいれて現在の貨幣価値で年間で500万円は超えない。しかも提出先の登記所は目の前である。たまに他管轄の法務局に行くのも西鉄大牟田線による電車移動で済むため車は使われていなかった。ただ印紙代を立て替えるため現金は常時、動かせないといけないが…最近の事務所の重装備ぶりと比べると何とシンプルな事か!
実際に実務をやって分かったのだが、司法書士業務は傍で見るのと違って時間のプレッシャーと要求される集中力が凄い。登記の先後で権利関係の優先順位が一方的に決まるので、依頼者の用意した書類を検分し、申請書を作る時間は常に迅速さが要求される。依頼者が司法書士に求める資質は処理スピードと正確さで、この傾向は所謂、金融機関や不動産会社など大口の顧客ほど強い。
書類の不備を後から気づいて押印など貰っていたのでは登記提出が遅れ致命傷になる。文字通り一発勝負の世界である。とはいえ単なる職人的熟練だけでない、不動産登記法・商業登記法など手続き法と民法などの実体法が司法書士の脳内で融合し、更新されてなければ、迅速で正確な判断がまずできない。
年齢と経験を経るごとに分かつてくるものがあるが、短い期間に体験した「あの司法書士事務所は、究極の事務所だったなぁ」と思い出す今日この頃である。
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