マイクロソフト中国研究所

1、欧米系グローバル企業の研究開発拠点の中国進出

米国企業の中国進出は現地生産→関連技術の移転→応用開発の展開というプロセスを経て1990年代後半から中国での基礎研究の展開の段階に入った。

マイクロソフトは1998年、マイクロソフト中国研究所を北京に設立し、さらに2001年、上海に設立したマイクロソフトのアジア技術センターの規模を拡大した。IBMは、1995年からIBM中国研究センター設立、次いで2000年末、上海の浦東でソフト開発センターを設立した。通信機器大手ルーセントは、1998年に中国ベル研究所を設立し、2000年には深土川でブロードバンドの研究開発センターを発足させている。欧米系グローバル企業は、中国で相次ぎ研究開発組織を設立し、中国現地の優秀な人的資材を囲い込んでいる。

2、マイクロソフト中国研究所

マイクロソフトのグローバル研究ネットワークは基礎研究を行う「研究所」と応用開発を行う「研究開発センター」で構成されている。

97年、北京を訪問したビル・ゲイツは清華大学の学生と直接対話する機会を持ち、同大学の学生の潜在的能力に感銘した。ビル・ゲイツの言う「潜在力」とは聡明さ、知恵、創造力、勉強の能力、事業に身を捧げる精神を指している。「彼らの数学の能力は一流だ、欧米ではこのような訓練を受けた人材はあまり見つからない。」マイクロソフト副社長李開復の中国の人材に対する評価である。ビル・ゲイツは、英ケンブリッジの研究所に次ぎ海外2番目の研究所を北京に設立することを決意した。最大の理由は巨大市場よりも人的資源が豊富という事実だった。ゲイツは「我々は素晴らしい人材を吸収することができた。」と述べている。

アップルコンピュータ・マルチメディア技術の研究開発担当の副社長、SGIの副社長を経験した李開復、中国でかつて”コンピュータ天才少年”と呼ばれ、米国で150の学術論文を発表し、30の特許を取得、「米国最優秀青年電子エンジニア賞」を受賞した張亜勤等が中国研究所で研究することになった。同研究所は、オープンで自由かつ平等な研究環境を目指しており、研究スタッフには十分な時間と空間を持たせ、彼らに好きな研究をさせており、このような研究環境に憧れ、MS中国研究所には、中国現地の優秀な人材が集まっている。

「マイクロソフト中国研究所は清華大学、浙江大学、ハルピン工業大学など重点大学との間に計算技術の基礎研究を行う実験室を共同で設立し、大学の人的資源を活用している。中国研究所は1998年設立から2000年までに米本社のソフト生産部門に12の研究成果を移転し、70の特許を申請し、90の学術論文を発表した。ゲイツを興奮させた「Microsoft.Net構想」はMS中国研究所の技術者の創造的研究による成果である。その結果、中国研究所の初代院長李開復は本社の副社長に昇格した。」(「中国の知識型経済」蔡林海著)

マイクロソフトは2001年、中国研究所をアジア研究所に昇格させる。創設後わずか3年の中国研究所は、研究員100人以上、訪問研究員と学生は200人を超えている。今後、マイクロソフトアジア研究所は、デジタルエンターテインメントに開発の主力をシフトするとも伝えられている。マイクロソフト本社で働く18000人の従業員のうち約850人が中国人であり、米国本土にある2つのMS研究所の全研究者の10%が中国人である。さらに シリコンバレーにおける20万人のエンジニアのうち6万人が中国人で、3分の1を占めていると言われている。

「米国のグローバル企業にとっては人的資源が豊富で市場も巨大化している中国は「グローバル規模の技術、知識・資源から最大の利益を獲得するため」重要な存在であり、中国にとっても米国のハイテク企業のグローバルのR&Dネットワークの中国展開はイノベーション能力の中国への移転をもたらした。」(「中国の知識型経済」蔡林海著)

中国は世界標準化を果たし、知識集約型産業移行推進を指向している。失われた10年、日本は米中間に挟まれ浮遊する間に米中は相互のメリットを享受し経済関係を強化している。

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