斜面都市の階段道路と地価の関係

深く入りこんだ港、その背後を取り巻く丘陵斜面に密集する古い社寺や住宅、起伏に富む地勢を縫うように細い坂道が続く。このような風情ある街の景観や眺望は、坂道の街「長崎」や大林監督の映画、尾道3部作の「尾道」などでお馴染みだ。長崎や尾道のような斜面都市は、国内でほかに小樽や横浜、神戸など各地で見られる。これらの斜面都市は、港湾の背後に丘陵地が迫り、平地が少ないのが共通だ。まず平地に事業所、公共施設などが集積して市街地化する。やがて住宅開発は平地から押し出されるように背後の丘陵地に向かつて拡大していく。日本の高度経済成長期は、平坦部に集積する事業所等が盛んに人口を吸引し、その住宅の膨張圧力で相当規模の斜面住宅地が各地で形成された。

しかし、斜面住宅地は少子高齢化の影響が最も先鋭的に見られ、深刻な空洞化が急速に進んでいる。相俟って地価下落も平坦な地勢に形成されている住宅地と比べると大きい。

斜面地住宅地の殆どは、計画的に造成開発され、整然と画地割りされて形成されたものではない。狭隘な道路を接道として起伏のある地勢に単体として造形された宅地などが鉛直に折り重なりあい、人口膨張圧力で拡散・拡大し、住宅が密集したものだ。

斜面住宅地の問題点は、起伏のある地勢に起因する物理的制約と近年の社会情勢に適合しないといった社会的背景から発生している。地勢など物理的要因によるものとしては居住者の高齢化の加速で、傾斜がきつい坂道を日常的に通行する肉体的負担がある。今日の社会情勢に不適合な側面としては、車社会への不適合に尽きる。斜面住宅地は車社会を想定せずに形成されているため、道路の狭隘さに加え、行き止まりなど連続性の欠如からアクセス機能が大きく低下しているからだ。

斜面住宅地は道路が狭く、宅地に高低があるため、工事用車両が入らず、家を解体したり、新築するコストも高い。42条2項や43条但し書きなど接道要件を充たさないケースもある。そのため住宅の更新がなかなか進まず、全域的に老朽化が目立っている。空き家も多く、なかには放置され、荒れ果てて周辺環境を悪化させているケースが見られる。また住宅が斜面に沿って住宅が鉛直に密集しているため、火災の際には延焼の可能性も高く、背後の崖面の崩壊などの災害リスクもある。

斜面住宅地のなかでも車やバイクが入らない階段道路接道の宅地は車社会から完全に隔離されており、地価下落が顕著に見られる。車のアクセスを拒絶した階段道路は、高齢者を中心に居住者に優しくない。救急車・消防車などの緊急時の車両が宅地に入れないし、福祉・介護のための車両もアクセスできない。買い物難民化した高齢者が買い物支援の宅配サービスなどを受けることも困難だ。

九州・沖縄不動産鑑定フォーラムで長崎県不動産鑑定士協会は「斜面地の現状と土地価格逓減率」と題する研究結果を発表。斜面地における階段道路沿いの土地価格が車道からの距離と何らかの関係があるとすればどのように逓減するかという分析を行った。

まず、研究結果の前に長崎市の斜面住宅地の成り立ちや特性に簡単に触れよう。長崎市の斜面住宅地は、もともと田や段々畑などに利用されていた所に、1960年代頃から、細い畦道をたよりに下の方から家が建ち並んで形成されたもので今日の車社会の到来を想定せずに住宅が集積した。「日本の斜面都市」(日本開発構想研究所 研究主幹 西沢明)によると、市役所北側の山の斜面宅地である西山、立山、浜平では平坦面から水平距離で600m~800m先まで斜面宅地が続き、宅地の最上部は200mの等高線近くまで達する。他の斜面都市に比べ急斜面が多く、分布する奥行きが深いのが特徴だ。このような長崎の持つ特徴的な住宅地形成は、坂道を登った高台から見下ろせる市街地のパノラマ夜景の美しさで長崎の重要な観光資源になってもいる。

詳細なプロセスは省略するが、斜面地の土地価格逓減の分析結果は、次の通りである。

長崎市内における階段道路の価格逓減の大まかな目安として、階段道路の価格は車道から5m付近(1軒目)で車道価格の60%程度、50m付近(4、5軒目)では36%程度、100m付近(9、10軒目)30%程度となる。また車道から40~50m付近までは逓減曲線の勾配が急で、それを過ぎると緩やかに逓減している(価格逓減のこのような傾向は時期的に変化し、地域的に異なる。特に中心的な斜面地ではこの傾向が当てはまらない可能性が高い)。

この研究結果では階段道路宅地事例の価格下落は長崎市内の市街化区域内の住宅地の全事例の下落率を上回っており、全体事例単価に対する階段道路事例単価割合も年々低下傾向にある。

斜面住宅地から若者が離れ、愛着や地縁性から離れられない高齢者ばかりが住むエリアとなり、空洞化からやがては地域の荒廃へと進む。その時々の社会経済情勢を反映する体温計である地価を観測すると下落速度が加速しているのだ。このような斜面住宅地の深刻な事態に行政も支援に乗り出した。

長崎市は平成2年度に「長崎市住環境整備方針」を定めた。十善寺地区、江平地区、稲佐・朝日地区、北大浦地区、南大浦地区、水の浦地区、岩瀬道・立神・西泊地区、立山地区においては、整備計画の国土交通大臣承認を受け「住宅市街地総合整備事業」に現在取り組み中だ。そのなかで斜面地住宅地の物理的制約を緩和する斜行エレベータ、垂直エレベータの設置や斜面移送機器システム設置はハード面から注目される。

長崎市のウェブサイトから引用すると、

▼グラバー園付近の斜行エレベータ、垂直エレベータ

石橋電停からグラバー園旧三菱第2ドックハウス横第2ゲートまでを結ぶ斜行エレベーターと垂直エレベーターが下写真。斜行エレベーターは、平成14年7月27日から供用開始。斜面に沿って動き、全長113m(水平99m)、高低差50mを17人乗りのエレベーターが分速90mで運行。乗降口は5箇所あり、横に延びる道路を利用し、住民の方の生活の足となっている。垂直エレベーターは、平成15年5月31日に供用開始。乗降口は3箇所。1階から3階までの高低差は18m、11人乗りのエレベーターが分速60mで運行している。

▼斜面移送機器(簡易型リフト)

住民が利用する公道に設置した簡易型リフト。平成14年3月に天神町、平成15年7月に立山3丁目、平成16年6月に水の浦町で運行を開始している。

外から通りすがりの観光客として眺める分には美しい町並みだが、そこで生活し住んでいる人は過酷な環境に置かれ、極端に言うと、やがては無人の遺跡のように人の生活の匂いが消されてしまいかねない。このような道を辿ることのないように行政の一層の支援に期待したい。

斜面都市というと小高い丘が海に迫った地中海の沿岸都市の光景が思い浮かんでくる。中世から築き上げられた都市が丘の斜面いっぱいに展開。道は狭くて曲がりくねり、白亜の建物が何層にも重なり、空と海の青さ、太陽の光が交錯している。ジグザグして迷路のような沿道の建物には地中海の天気のように陽気な人達の生活の匂いが満ちている。

斜面都市持つ魅力は水面と丘が織り成す眺望や景観にある。しかし、それを構成する居住者は驚くほど過酷な生活環境を強いられ地域の空洞化が進んでいる。緊急にそこに住む人々に優しい町づくりが進められ、若者も生活し、住みたくなるような新たな都市形成を目指してもらいたいものだ。

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