宮大工という孤高の匠たち

「宮大工」、最近、あまり耳にすることがなくなった古来伝統建築の技術集団だが、社寺など日本古来の木造建築を手がける大工のことである。社寺建築は、信仰と崇拝の場であるため威厳と優美を織り成す独特の曲線や複雑な造作に満ちている。宮大工は、釘や金物を使わず「継手」、「仕口」といった技法を使い木の微妙なクセを読み、社寺建築に絶妙の施工を施すことができる匠である。

宮大工といえば法隆寺の大修理や薬師寺金堂復興で知られる西岡常一氏が有名。西岡棟梁は飛鳥時代の古代工法で大伽藍を造営できる最後の宮大工棟梁といわれた。氏のご子息はあまりに厳しい父の仕事ぶりを見て後を継がなかったといわれている。西岡氏の弟子入りまで3年かかったという小川三夫氏は、まず真綿を広げたように向こうが透けてみえるカンナ屑をみて驚嘆する。故西岡棟梁の口伝は、哲学的で深く、ストイックで求道者のような言葉一つ一つが俗塵にまみれた現代人の心に深い感銘を与えずにはおかない。

このように宮大工は、高度な建築技術の継承者として大工の中でも尊敬を集める技術集団であり、専ら社寺建築に携わり、民家の建築は殆どしない。宮大工の数は、寺社建築の市場縮小に相俟って減少してきている。ここにも伝統技術の承継に危機が忍び寄っていた。一方、社寺など伝統建築のこれから増える修理需要や地震国であるわが国の特性に目をつけ、技術伝承への情熱が後押しする形で、社寺建築の専門組織を設け、積極的な営業を展開しだしたゼネコンがある。

まず竹中工務店。その歴史は織田信長の普請奉行、竹中籐兵衛正高を始祖とし、多くの社寺建築を手がけてきたことで知られる。例えば鎌倉市にある鶴岡八幡宮、この著名な歴史的建造物の舞殿の耐震補強工事を行った。床下に制震装置を組み込み工事前に比べ地震による揺れを半分に減衰した(日経産業07.0.4.26)。社寺建築は、デザインと機能をいかに両立させるかに苦心があるという。竹中工務店は、「伝統建築グループ」を設計本部内に設置、専任者を配置すると共に、営業、生産、技術開発の各本社部門及び本・支店設計部門において伝統建築の担当者を任命し、受注、設計、生産の連携強化を図り、受注拡大を目指している。同社の「伝統建築グループ」は、明治以前の和風伝統様式建築物を対象とし、受注拡大を志向し始めている。竹中の狙いは「江戸幕府樹立当時にできた寺社は完成して約400年経ており修理の時期がきている。」マーケットは小さくないという読みである。

また飛鳥時代に創業し、1400年の歴史を持つ日本最古の寺社建築会社、金剛組は、四天王寺建立のため聖徳太子が朝鮮半島の百済から招かれた金剛重光により創業された。さらに聖徳太子の命により創建された法隆寺も初代金剛重光とともに百済より渡来した二名の工匠たちの手によるものと言われている。金剛組は、一時、経営難に陥ったため、高松建設の支援を受け再生に取り組んでいるが、現在、寺社の改築やバリヤフリー化を寺社に勧めて受注確保に努めている。同社は宮大工集団を8組、計110人抱えており、明治初期に焼失した日蓮宗総本山、身延山久遠寺の5重塔など5重塔だけで既に3棟受注するなど足元の受注は好調らしい。

社寺建築は、その独自の伝統技術と木造建築技術の粋を集めた技術レベルの圧倒的な高さでこれまで宮大工の独壇場であったが、その承継者が年々、減少している。そのようななか、伝統建築技術を生かして後世への技術承継を試みつつ、耐震性、免震性など新しい蘇生技術を吹き込み、古来の社寺の生命を蘇らせるこれらゼネコンの取り組みは注目される。

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