マンションの孤独死
築35年、そのマンションの202号室には晩秋の明るい朝の陽射しがカーテンの隙間ごしに射し込んでいた。いつもは片付けられた洗濯物が室内に散乱している。HBの鉛筆で疎らに書き込まれた手作りの壁のカレンダー、店の包装紙やチラシを切り合せて綴った枕元のメモ帳。ちゃぶ台の上には7年前旅立った妻とはにかんで微笑んだセピア色の新婚旅行の写真、愛用の湯呑み茶碗。シンメトリーに畳上に敷きこまれた赤茶色に変色したカーペットなど…いつもと変わらぬ光景。異様なのはこの部屋の独り暮らしの老人がうつ伏せになったまま身じろぎひとつせずにカーペットに横たわっていることだった。呼吸停止した老人の顔は心なしか安堵の表情にも見えた。目まぐるしく変わる世間から葬むられたような高齢化マンション、そのなかで繰り返された老人の日常と孤独の日々。年々衰える肉体。医療費、年金等の生活不安に苛まれ続けた現世の呪縛から解き放たれたからだろうか、11月の透明な陽光は、死後硬直した老人の横顔に注ぎ、老人の顔に刻み込まれた深い皺のひとつひとつをこれまでの長い人生の旅路をなぞるように照射していた。隣人も体が不自由な70代の高齢者夫婦だった。異変に気づかず独居老人の孤独死が管理人により発見されたのは死後5日経ってからだ。
このようなイメージの古いマンションにおける高齢者の孤独死は年々増加している。自然死ならまだしも自殺など変死となると心理的瑕疵として売却の際に売主の瑕疵担保責任となるため、媒介業者は買主への告知義務がある。人間の死に方によっては建物にまつわる歴史的背景となり、忌み嫌われる嫌悪感の度合いが客観的に測定される。変死の形態、売主との関係、当該行為がなされた場所、経過した時間により相応の減価がされて新たな所有者へ売られていく。
判例では7年前の建物内の自殺を瑕疵と認定し契約解除や違約金の支払いを売主に課した(横浜地裁平成元年)。一方自殺行為があった建物が取り壊され更地化されたものは心理的嫌悪の対象が建物内の一部の空間という特定を離れており当該土地については歴史的背景は遮断されるとして瑕疵と認定していない(大阪地裁平成11年)。しかしマンションは容易に更地化して記憶をリセットできない。変死や孤独死の歴史を建物内に積み重ねていくだけだ。たとえ自然死でも孤独死は、住民が動揺し、風評被害となって当該マンションの資産価値は下落していく。
日本経済新聞社が築20年以上のマンションに実施した調査では、高齢者が誰にも気づかれず自宅で死亡する「孤独死」が全体の13%発生していた。ちなみに世帯主で最も多い年代が60歳以上のマンションは37.6%。一人暮らしの高齢者世帯が住人の10%以上占めるマンションは全体の43.7%。築年別では築20年以上30年未満では36.8%、築30年以上では55.4%のマンションで一人暮らしの高齢者世帯を抱えている。20%以上と回答した割合も全体の16.9%にのぼっている。
増加する孤独死を深刻に受け止め、高齢者が安心して暮らせるマンション作りに乗り出した管理組合が出始めている。日経06年11月9日によると
札幌市内にあるマンション「ターミナルハイツ白石」(築30年、104戸)は、2005年6月、社会福祉協議会と契約。同協議会が有料で貸しているペンダント型の緊急用通報装置を70歳以上の住民に貸し始めた。現在5人が契約。年15,750円のリース料を組合が全額負担している。
神奈川県横須賀市の「ソフイアステイシア」(世帯数309戸)は、持ち家を売って移り住んできた高齢者が多く、独居が6世帯、高齢者のみが1二世帯ある。災害時だけでなく事故や急病の場合に即時対応ができるように昨年6月にあえて住人に細かな個人情報を自己申告してもらう「居住者台帳」を作った。事前申告の個人情報は、要介護度など自力避難が困難な状況かどうかといった心身の状況から、既往症、服用薬、血液型、緊急連絡先の電話番号など緊急時に必要な情報をほぼ網羅している。すでに87%の世帯が申告をすませている。
宮崎市のマンション「宮崎タイセイハイツ」(築27年、49戸)はマンションの1階の駐車場に自冶公民館を建設し住民だけでなく地域の高齢者を集めコミュニティを高めている。
マンションの管理組合が高齢者対策をするにはかなり詳細な高齢者の実態把握と機敏な連絡網の構築が必要だがいまのところ個人情報保護法がネックになっている。人権やプライバシーを守るはずの法律が皮肉なことに高齢者という弱者の救済を阻んでいる。遅まきながら国交省も住人の高齢化に伴う管理の困難さに危機意識を強め始めた。国交省住宅局長榊正剛氏は、高齢者の孤独死が多いのも問題だとし、管理組合の自冶会機能を高めるとともに、住人に委ねる今の管理方式からマンション管理の信託方式の導入も検討課題としていると語っている。
同時進行で老いてゆくマンションと住民、高齢化社会の到来とマンションの老朽化問題が凝縮された象徴が老朽マンションの高齢者の孤独死だ。総合的視点を欠く供給重視の住宅政策の歪のなかで過剰に供給され続ける高層マンション。華やかな光の影で老朽マンションと棄民となった高齢住民が増え続け、誰にも看取られずにひっそりと死んでいる。
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