構造設計とコンピュータ利用の功罪
姉歯さんが耐震偽装した構造計算の国土交通大臣認定プログラムというソフトであるが、一貫計算と、個別計算の2通りあって、一貫計算で適用範囲内で使用され、かつ、ノーエラーで計算処理が正常終了した場合には構造計算書の全てのページのヘッダー部分に大臣認定番号と性能評価番号、計算終了時の時刻が印字されるらしい。大臣認定番号が出力されていれば、「構造計算書(その1)」と呼ばれる代表架構のみの計算結果出力で済み、通常の構造計算書に比べて大幅に「図書の省略」をすることができる。この事件の偽造の手口は、このような簡略処理を悪用し、大臣認定プログラムで出力されたものを改ざんし、本来なら適正でないデータを、あたかもプログラムが「適正」と判定して出力を行ったように見せかけるというものだった。
大臣認定プログラムソフトは106存在している。大手ゼネコンは、独自にCADデータなどで自社の設計プロセスを統合化した構造計算ソフトを自社開発して活用しているが、市販ソフト56のなかには、プログラムのバグや不正データの入力や出力帳票の改竄制御などセキュリティが不十分なものも当然あるわけで、無闇にソフトが出力した結果を信頼してしまうということは、軽率の謗りをまぬかれないと思うのだが…。確認検査機関にしてみれば大臣認定というお墨付きとコンピュータ処理で出力されたものは間違いがないだろうという盲目的なデジタル信仰みたいなものがあって、建築士のなかでも地味で固いというイメージで通ってきた構造設計士の先生なら性善説で偽装を疑うことがなかったのだろう。疑ったとしても入力データを電子的に提出させ、計算プロセスをチェックし、論理矛盾をエラーで出力するチェッカーソフトや同じプログラム上で再計算する大臣認定ソフトも審査の現場にはなく、おまけに審査担当者のなかでも構造計算の実務経験者が極めて少ないときては、事実上、審査が機能不全で形骸化していたのは自明である。
構造計算自体も4通りあって、新宿のマンションは、姉歯さんが偽装に使った保有水平耐力計算では基準以下0.85とされていたのが、再計算を依頼した限界耐力計算で再計算すると一転して耐震強度が基準の1を超え、安全となった。というように計算方法間の整合性はなく結果がバラバラになるという混迷を露呈している。この問題は、構造計算のコンピュータ処理という問題を超えててもっと深いところに病根がある。
近年、構造計算のコンピュータ処理化が進んで、計算プロセスがブラックボックス化され、例えば、確認検査などが機能麻痺しているという指摘が増えている。例えば、構造設計に未熟な者が不適切な設計変数や地震力などを入力してもコンピュータが与件に基づくそれなりの結果を出力、その検証は非常に難しい。その結果、姉歯さんのようにソフトを悪用する者が跡を絶たないのではという危惧や、コンピュータのマニュアル通り機械的に入力を繰り返し、構造計算として合格すれば、プログラムの適用範囲内に設計が標準化・単純化してしまうので、構造設計者の創造的意欲が阻害される、といった懸念である。しかし、建物は高層化し建築空間はますます巨大化、多様な特殊建築物が出現するなど建築技術の工学的進歩が急速なので、構造計算を制約する設計変数(パラメーター)の数も膨大になり、コンピュータなしでは計算処理ができない時代になっている。最早、コンピュータを否定して後戻りすることはできないのである。
京都大の大崎純助教授は「建築雑誌2005.10(構造設計でのコンピュータ利用の恩恵と弊害)」で、構造設計の最適化にコンピュータ利用は多大な恩恵をもたらすと書いている。
最適化とは
構造設計のプロセスは、与えられた設計条件のもとで、最も望ましい設計変数の組み合わせ(部材の配置や断面形状)を決めるプロセスであり簡潔に述べるならば、「設計変数をいろいろな値に変更してみて、最も望ましい解を選択する」作業といえる。しかし、次のような疑問が浮かんでくる。
- 最も望ましい解はいかなる根拠によって決められるのであろうか。
- 望ましくない解が得られたとき、設計変数をどのように変更すればいいのだろうか。
このような疑問に答えてくれるのが「最適化」である。最適化は、コンピュータ利用を前提とするものであり、コンピュータ利用の恩恵の代表例と考えることができる。
経営工学などで発展・進化した最適化の概念は、与えられた条件を充たすためにはどのような組み合わせをすれば最適か、など最適解を短時間で数学的に求めるもので、例えば、カーナビなどがいくつものルートの組み合わせから目標地までの最短距離を求めるのもこの最適解である。近年の構造設計になると最適解を求めるための計算量が膨大で複雑なのでコンピュータがなければできない。
大崎純助教授は、「熟練設計者でも制約条件を満たす解を見つけるのが困難な場合には特に有効で、通常の設計法では実現困難な大規模かつ特殊構造を実現できる。またこれまでなかったような構造形式を発見することも可能である。」と書いている。
今回の構造計算の耐震偽装は、算出された結果のデータを別の編集ソフトにコピーしてそのデータを書き換えるという、比較的単純な方法を用いており、大臣認定プログラム内部のコードを改ざんするような手の込んだものではなかったようだが、犯罪手口がさらに高度化してきたとき、現状の確認検査態勢では殆ど対応ができないだろう。構造計算の確認を電子的に遂行するには、構造審査の実務経験者を必要数を確保することは当然として、稚拙なレベルから高度なものまで電子的に防御するシステムを手間コストはかかつても構築するなり、瑕疵担保保険などを絡めた第三者チェックの導入、膨大な数ある大臣認定プログラムの標準化などが早急に検討されるべきであろう。
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