耐震偽装問題の根源か?限界耐力計算
姉歯設計が耐震偽装に使ったとしてメディアを賑わせた「保有水平耐力計算」に続き、06年2月に浮上したのが「限界耐力計算」。構造技術者のなかでもその理解をしている数は僅かという超難解な技術用語だが、実は今回の耐震偽装の本質は、筆者のような構造のシロウトには拒否反応が起きてしまう、この難解用語とその登場背景を丁寧に紐解くことで見えてくる。
構造設計者と呼ばれる専門技術者によって引き起こされた今回のような事件の真相追求をメディアがヒューザー社長以下、数人の悪者?の仕業という安直なシナリオに短絡させてしまいがちなのは事件の性格が、世間の理解を超えたブラックボックス化された世界での出来事だけによくある報道の落とし方ではある。この事件の本質を理解するには、「限界耐力計算」に象徴される、2000年建築基準法施行例改正による「住宅性能法」改正で、本来は民間ベースの創意工夫による構造品質の向上を主眼とした当該改正が、マンション、建築業界を経済設計という安全性の下方修正へ向かわしめている現実があるのを見逃せない。
例えば、姉歯設計が偽装したのと同じ「保有水平耐力計算」では耐震強度「(Qu/Qun)=(保有水平耐力/必要保有水平耐力)」が基準1以下の0.85とされていた新宿区のマンションを限界耐力計算で再計算すると一転して耐震強度が基準の1を超え、安全となった。当然ながら「なんとも解せない話だ」「耐震基準のダブルスタンダードではないのか」というメデイアによる批判が起きた。
そもそも「保有水平耐力計算」でも難解なのに「限界耐力計算」は、より高度な技術計算で、構造設計の専門家のなかでも理解している人はごく一部といわれている厄介な代物である。しかしながら耐震強度偽装問題の根を真に理解するためには、世間の理解を超え閉ざされているブラックボックスの蓋を開けて検証がなされなければならない。しかしメディアの報道は、技術的背景をネグりがちで、何をもって偽装というのか消化不良のようなものを感じていた人が多かったのではなかろうか。
一般に誤解があるのは、建築基準法は、大地震がきても生命は当然として、建物という財産も守る基準になっていると思っている人が多いことだ。建築基準法は、建物について、震度5では損傷を出さず、震度6強では壊れるものを倒壊させずに生命を守る強度を最低基準として設定している。いわゆる2段階設計法とよばれるものだ。具体的には、中地震では、建物に財産的な損害を出さず、大地震では、生命だけは守る、つまり建物に大きなひび割れがはいり、柱、梁、壁の主要構造部が大破して、財産価値ゼロ、建て直さなければいけない状態になっても、天井や上階の床が落ちて人を圧死させなければ、建築基準法では許容範囲なのだ。
最低基準である建築基準法よりも安全性が高い100年寿命のマンションを建てたければ、後述するが、「2000年の住宅性能法改正で民民が話し合っていくらでも上方志向ができますよ」という仕組みになっている。
まずマンションの構造計画等であるが、構造設計士は、構造計画→構造モデル作成→構造計算→評価・判定という一連のプロセスを繰り返し、コンピュータの倒壊シミュレーションで建物が必要な構造強度を備えているか検証する。このプロセスのなかの構造計算であるが、下表の4つの手法に分かれる
簡単な方法 | 許容応力度計算(ルート1~3) |
中間的方法1 | 限界耐力計算 |
中間的方法2 | エネルギー法 |
高度な方法 | 時刻歴応答解析 |
要は簡単な方法から高度な方法になるに従い技術レベルが高度になるため、構造設計士が勉強し、経験を重ねて技術レベルが高度になるほど経済設計とよばれるコストダウン設計が可能になる仕組みになっている。この仕組み自体は、高度な技術習得のインセンティブとなり、一見、合理的なのだが、問題なのは、4つの構造計算方法の相互に整合性はなく、その計算結果は、バラバラでコンピュータからOutPutされ、その結果、同一の建物でもある計算方法では強度不足となり、別の計算方法では安全という摩訶不思議なことが起こってしまうことだ。
しかも姉歯設計が使った保有水平耐力計算は簡単な方法のランクであるが、このレベルでも建築審査機関は偽装を見抜けなかった。限界耐力計算は上ランクの中間的方法1となり、その難解さは保有水平耐力計算の比ではない。
構造計算は、数学的ロジックで構成されているため、コンピューター処理になじむ。構造技術者が懸命に勉強し、経験を重ね到達したレベルに応じ、構造計算方式のなかから上位ランクを選択して計算できるわけだが、未熟な構造設計者でも構造計算ソフトを使い数値をインプットすれば、コンピュータが大臣認定プログラムで与件の数値を基に計算、もっともらしい結果を出力してしまう。その与件やロジックが矛盾していても建築検査機関の担当者は、民間、役所に関係なく構造計算の高度な実務スキルを持った技術者が殆どいないため気がつかない。
それぞれの計算方法には、専門家の見地からみたいくつもの安全性に対する前提や仮定があり、その計算方法の持つ限界との相互関係を検証しながら厳密に遂行されるべきものだが、利潤極大化に走るマンションデベロッパーの意向を受けて歯車の一部と化した構造設計士が、経済設計、ローコスト化だけを照準として与件の数値を操作し、外界の理解を超えたブラックボックスのなかで意図的に行われているとしたら…そして高度計算が行われているとされている計算方法ほど安全性に対して強い発言力を持ち、邪悪な動機を隠蔽してくれる(…恐い話である)。
ここで各構造計算法の概念について簡単に説明する。といっても構造設計の専門家でも難解な概念を、門外漢の筆者に解るはずもないのだが、最近出版された日経ア-キテクチュア元編集長細野透氏の著書「耐震偽装-なぜ、誰も見抜けなかったのか」と「日経アーキテクチュア 耐震基準はダブルスタンダードなのか」のQ&Aは、「限界耐力計算」などの超難解用語を解りやすく解説。その技術背景に潜む耐震偽装問題をおこすメカニズムを明快に究明しているんで当該書籍から引用、要約すると
【許容応力度計算、保有水平耐力計算】
許容応力度計算では中小規模の地震が起きたとき、建物荷重の20%程度に相当する水平方向の地震力が加わっても建物にひび割れ(柱や梁にひび割れが入る瞬間を弾性限界という)が生じないか確認をし、保有水平耐力計算は、大地震発生時に建物荷重の40%程度に相当する水平方向の地震力が加わっても建物が耐えれるかを確認する。当然に許容応力度計算より保有水平耐力計算の方が難易度が高い。
【限界耐力計算】
限界耐力計算は、高度な方法にランクされている時刻歴応答解析を簡略化したものなので、時刻歴応答解析を理解することから始まる。テレビで木造住宅などの地震を想定した振動実験をよく見る。振動台をガタガタ揺らすと設置された住宅が振動するというものだ。高層マンションは、実物大の実験がコストの関係などでできないためコンピュータを使う。振動台の代わりに地震波のデータを入力し、構造モデルが地震に耐えられるかを秒単位で確認する。RC造の場合、変形(層間変位)が1/250~1/125以内に収める。
時刻歴応答解析の計算プロセスを簡単にしたものが限界耐力計算であり、簡略法と積算法がある。限界耐力計算は、中小の地震が発生したとき建物が「損傷限界」を超えないように、また大地震が発生したら安全限界を超えないように確認する方法で、耐力だけでなく変形も確認する。
まさに地震のレベルに対応した2段階設計法の思想を具現したものだが、保有水平耐力計算や時刻歴応答解析が実験的な色彩が濃いのに対し、一部非線形解析をコンピュータ処理で実行する極めて理論的なものであるため、技術者の経験などで体感的に理解するのが難しいといわれている。つまりブラックボックス化されやすい計算方法ということだ。
■限界耐力計算で安全性は本当に大丈夫か?
限界耐力計算は、2000年建築基準法施行例改正で「住宅性能法」が改正され、それまでの許容応力度計算に加え、新たに導入された。限界耐力計算、特に積算法は高度な計算をするため、「安全率が高い」とみなされ、地震力を従来の計算のものに比べ小さく設定できるようになった。つまり構造設計者が許容応力度計算でやっていたときは、演算ロジックが粗いので安全に対して保守的になって柱や梁を太くしたり、壁厚を大きくしたり、鉄筋を多めにしたりしていたのが、限界耐力計算を使いだしてから躯体の断面が細かったり鉄筋量が少ないマンションが数多く建つようになった。工事現場の技術者がおかしいと体感的に感じた鉄筋や梁、柱の太さを「先端の構造設計では可能なんですよ」という説明で、なかには問題工事があっても何気なしにスルーする下地が醸成されたのではないだろうか。
大臣認定ソフトを提供している㈱構造ソフトのサイトのコラムは、この辺の危惧を的確に指摘しているので引用する。
「専門的な話になりますのでわかり易く簡潔に説明しますと、従来の「新耐震設計法」は、地震力を(地盤や建物の振動特性を大まかに捉え)想定した地震より少し大きめな地震力を作用させていました。それゆえ、コンピュータで得られた耐震性能より、実際の建物の耐震性能は少し大きく安全側になる傾向になります。一方、2000年から新しく登場した「新検証法」は、コンピュータ時代を反映して(地盤や建物の振動特性を考慮しながら導かれる)地震力をより精度の高い計算をして算出します。その結果として、建物に作用する地震力は「新耐震設計法」より小さくなることがあります。これは地盤が良好で高層建築物の場合に(地震波と建物振動の共振作用が小さくなるために)その傾向が現れます。これの意味するところは、両者の計算法で法の定める最低基準(耐震強度が1.0相当)で設計すると、計算上は同じ耐震性能であっても、「新検証法」は「新耐震設計法」より小さ目の地震力で計算することになるため、実際の建物の性能は従来の建物より劣ることになります。このことは新しい計算手法の「新検証法」で設計すると、時代に逆行して今までより性能の低い建物を作り出す危険性があることを指します。」(アンダーラインは筆者注)
日本構造技術者協会(JSCA)は、限界耐力計算は、問題ありと指摘している。「日経アーキテクチュア 耐震基準はダブルスタンダードなのか」によると
「限界耐力計算では建物の構造を『1質点系』にモデル化するが、『1質点系』とは1階建ての建物という意味だ。建物が10階建てだと正式には10質点系なのだが、計算を簡単にするために『エイヤっ!』と1質点系に仮定してしまう。そこに無理がある。だから階数が高い建物、下層階から上層階まで同じ強さでない建物、左右対称でない建物には限界耐力計算を使っていけない。」さらに恐いのは「1質点系でない構造の建物に限界耐力計算を適用しても、別に建築基準法違反にならない。確認審査が形式的に行われている限り、決して見咎められることはない。結果として合法的に地震に弱い建物が作られることになる、JSCAはそれを問題視している。」
1981年に数々の大地震の教訓から新耐震設計法が施行され、許容応力度等の構造計算が導入された。導入時には関係者への周知徹底の努力が為されたが、2000年建築基準法施行例改正による「住宅性能法」が改正、限界耐力計算の導入などに当っては新耐震設計法施行当時のような周知徹底の努力がなされていないとJSCA理事の辻氏は別のサイトで指摘しておられる。
さらに「エネルギー法」も導入するなど相次ぐ構造計算方式の習熟に現場サイドの構造設計士、審査当局は、混乱し思考停止を招いている、さらに悪いことには、計算方式の高度化が結果として経済設計という構造手抜きマンションを作る一部のアンモラルなマンション業者を温存している。
限界耐力計算が技術進化したものであっても他の計算方法と大きな差がでないように整合性を取るなど建築審査業務の混迷を停止させるのは当然に行政の責務である。構造欠陥マンションを生む内在的な要因を早急に是正してもらいたいものである。
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