過剰覚醒社会で働く地獄
小林多喜二の小説「蟹工船」がブームを呼んでいるそうだ。購読層は若者や働き盛りの世代に多い。ワーキングプアなど格差社会という時代背景が、戦前のプロレタリア文学に光を当てた。現代の非正規社員の酷い待遇と戦前の蟹工船で繰り広げられる過酷な労働者の描写が重なり、時空を超え共有できるリアリティとして読者の共感を呼ぶのだそうだ。
話は変わるが、いわゆる非正規社員にも届かない若者による無差別殺人がいくつか実行され、犯人の自暴自棄な世間を呪った言葉がネットの掲示板に書き込まれたりもした。弱者が弱者を理不尽に傷つけ殺す作業は、儀式のように実行される。実行者は殺人の手応えと社会に与える衝撃の大きさを想像し、メディアの反応をある種の快感で思い測る。「社会において自分は無価値に等しいのでは」という絶望や屈辱感が歪んだヒロイズムに転化するのか、もしくは他者の所為で恵まれない人生を自分が負わされたと一方的に被害者意識を募らせて無差別に憎悪を暴発させているのか…そして模倣する馬鹿が次々に湧いてくる底知れぬ不気味さ、病んだこの国の闇の深さを思い知らされる。
格差社会は、社会の公平性や活力が削がれると問題提起されたり、格差が固定化される傾向にあり将来に希望が持てないので、さまざまな社会の歪みや犯罪を生産していくといった弊害が取り上げられることが多いが、格差社会の勝者ともいうべき、例えば1流会社の正社員や管理職の人たちも、過重労働や仕事のストレスで精神が蝕まれた悲惨な状況にある。
精神科医で作家の野田正彰さんは、日本経済新聞7月24日で「職場でほっとする時間や息抜きできる瞬間が消えうせて過度な緊張状態が延々と続く働き方が広がった」と指摘し、職場は過剰覚醒社会になったと語る。職場での残業時間が多いから疲労が過剰に蓄積し問題だ、といった捉え方が一般になされ、過労死が取り上げられたりする。しかし残業時間の多寡だけでなく、心身を過剰に消耗させているのは、職場が過剰覚醒社会になっていることにもある。野田さんは、「人間は単一の仕事には強くて耐えられる。例えば同じ肉体労働を長時間続けた場合はぐったり疲れるがよく眠れる。だが複数の案件を抱え、あれもこれもと考える働き方には弱い。頭が過剰覚醒し、眠れなくなる。深夜に帰宅しても業務の段取りばかり思案する。そうしないと仕事が間に合わないというせっぱ詰まった状況もある。」と書いてるように近年の仕事の複雑化や効率化が働く者の思考回路を複線化し、仕事ができる者に仕事は限りなく集中し、責任も重くなる。
勿論、労働の質や量に見合って収入も増えるのが能力主義、成果主義なのだが、仕事に見合って思考回路を複線化するのと無駄な時間を省くのは同時並行で進められるので、仕事の合間に同僚と雑談する時間や、なにも考えずにボーツとするような時間はますます削られていく。その結果、常に緊張を強いられ、帰宅しても仕事のことばかり考えて頭が過剰に覚醒して眠れないという悲惨な状況から逃げられない。こうなると勝ち組といわれる者は果たして幸福なのだろうか?と考えてしまう。仕事の合間の空いた時間に人はボーツとしたり、昔のことを思い出したり、他愛がない話をすることで心に潤いが生まれ、他人のことを思いやったりできる。ちょっとした時間の余裕が心の余裕となり、それが生きていく潤滑油になったり、社会全体を心地よくしている。
失われた10年には、企業は、債務、設備、雇用人員のムダを削がなければと、リストラをやり、成果主義を取り入れた結果、ムダは省かれ筋肉質の体になった。しかし成果主義が格差社会に拍車をかけた。いま企業では行き過ぎた成果主義で自分のことだけで精一杯で目的や価値観を共有できない社員が急増し、企業は新たな悩みを抱えている。勝ち組社員は過剰労働と過剰覚醒で心身疲労が沸騰点に向かい、非正規社員や負け組みの一部は、職場や社会への不満から無差別殺人の潜在予備軍へ向かうというのではこの国に未来はない。
何のために人は働くのかを問い直し、働く仕組みを根本から考え、この国に漂う危うさ、閉塞感と向き合う時期が来ているのではなかろうか。
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