バブル崩壊を予測した相場師
現在、日本はデフレスパイラル(2年以上の物価下落と景気の低迷)の出口が見えない閉塞感の真っ只中にいる。デフレの病根は複雑に病巣が絡み合い、どれから切除すればよいか、その副作用の大きさはなど…。処置が難しい実に悪性の病魔にとりつかれたものだ。
冷戦後、軍事競争の重荷から開放された結果、メガコンペティション(大競争)によるグローバルな供給過剰が定着し、米国におけるITバブル崩壊がさらに過剰を増幅し、世界同時デフレを進行させている。国内的要因としては、電機、IT関連の低付加価値量産商品、衣料などの生産拠点移転・輸入増加・国内物価下落をカバーすべき高付加価値新産業の成長不足に加え、既存需要の飽和、社会構造変化に対応できない新需要の創出の不足などによる総需要の縮小と過剰供給のミスマッチがある。さらに不良債権の慢性的重しによる金融機能不全、短期金利はゼロ、長期金利1%を下回るのに企業は設備投資に動かず、余裕資金は借り入れ返済に充てられ、運用難の資金は国債に向かう。まさに縮小均衡の迷路にはいってしまった。
思えば日本の失われた10年はバブルの崩壊から始まった。崩壊後、金融緩和と公共事業の積み増しや公的資金の投入による不良債権処理を何度となく繰り返してきたが、迷路から脱出できない。バブルとはなんだったのか、現在の不良債権はなぜ巨大化したのか…。この検証をバブルの崩壊を予測した相場師の登場も願ってやってみよう。
バブル経済は、1985年9月のプラザ合意から始まった。1980年代前半の米レーガン政権は、異常なドル高に悩まされていた。そこでそれまでの行き過ぎたドル高を是正するためニューヨークのプラザホテルに先進5ケ国蔵相を集め、是正を確認させた。急激な円高になると日本は困る。輸出企業は大打撃を受ける。不況の到来を予測した大蔵省、日本銀行は、大幅な金融緩和策をとった。1986年1月30日に公定歩合を5%から4.5%に引き下げた。以来、87年2月に2.5%に引き下げるまで、計7回の引き下げを行った。1987年、米国の株価暴落いわゆるブラック・マンデーは、日本の政策当局の金融引き締めを困難にした。米国に配慮したからだ。
この超金融緩和策により、だぶついた金が不動産市場や株式市場になだれ込んだ。過剰流動性がフロー・モノでなくストック・資産に集中的に向かった。このバブルの特徴と言える。不動産や株が超高騰状態となった。株価や土地の値上がり率が貸出金利の率よりも大きく上回っている場合に、公定歩合を引き下げると、差益が増大するため、株や土地に資金がなだれ込む。
「東京のオフィス面積が足りない」この一言から都心部の地価が高騰し、都心で地上げされた地主は、有り余る売却代金で都内の高級住宅地を金に糸目をつけずに買う。高級住宅地の価格が暴騰する。それがまたたくまに周辺の地価を上げる。ついには地価暴騰は全国の主要都市にまで波及し、歌う不動産屋や投げる不動産屋までテレビに登場した。今にして思えば日銀の誤った状況認識、護送船団体制と大蔵省の無能、土地本位制に毒された思考停止の銀行がバブルと言う異常事態を演出したと言える。
誰もが土地神話を信じ、過剰融資に走る銀行や闇世界の地上げ屋が活躍し、強気一辺倒の時代が到来した。しかしこの時代にいち早くバブルの崩壊を嗅ぎ取り、大胆に債権を買い集めた「相場師」とあえて尊称したいディーラーがいた。
日経ビジネス渡辺康仁氏の記事を紹介する。フジマキ・ジャパン代表取締役藤巻健史氏は、かつて東京市場を代表するディーラーの1人に数えられた。三井信託から米系モルガン銀行で債権や為替を中心とする金融市場に身をおき、00年、著名投資家でヘッジファンドの主宰者ジョージ・ソロスの投資アドバイザーに携わり、「マーケットの伝道師」と称される。
藤巻氏はバブル期前後から東京都内20ヶ所の路線価の定点観測をし、不動産業を営む親戚から統計に表れることが無い実地の不動産取引の情報も得ていた。地価でディーラーとして経済予測の勘を訓練していた(不動産担保の経験から地価動向→経済停滞の予兆を経験したのだろう)。
89年あるビルの社長からビルの維持管理費が高騰し、賃料収入で賄うことが難しくなったと打ち明けられ、さらに海外の親しい市場関係者から「最近の日本の地価上昇は異常ではないか」と警告めいた言葉を聞かされた。これにさきほどのビルオーナーの弱気な言葉が重なった。
逃げるなら今しかない!!日本経済の見通しを180度転換し、「経済は遠からず下降局面を迎える」と言うシナリオを描いた。まだバブルのなか強気が支配的な時期にである。経済が下降局面を迎えるとき長期資産である国債に資金が集まり、長期金利は低下するのが定石。債権を買い集めた。日経平均株価は89年末を境に下落に転じ、ほどなく地価も下落、投資マネーは株式市場から逃げ場を求めて債券市場に殺到。勤務していたモルガン銀行に巨額の利益をもたらした。
バブル崩壊は実にあっけなかった。NHKは三夜連夜で「土地は誰のもの」を放送し、サラリーマンが一生働いても買えない高地価の不条理を訴えた。誰もが異常だ、けしからんと叫び始めた。世論によりバブル退治に動員された日銀の三重野総裁は「平成の鬼平」ともてはやされた。急激な金融引き締め、大蔵省の総量規制、懲罰的税制、さらに、当時の国土庁により地価監視区域制度も実施され、公示価格と乖離した高値取引を規制した。これらによりバブルは弾けた。日本人のDNAにすりこまれた地価神話が音をたてて崩れた。しかし全力疾走の短距離ランナーの前に突然、巨大な隕石を落下させたようなこれら一連の政策は、後に大きな禍根を日本経済に残すことになる。
地価の急激な下落で銀行による過剰融資は、大手流通、建設、不動産をはじめ、バブル時に本社ビルを建てた企業などに大量の不良資産を発生させた。このため生じた資産デフレは借り手・貸し手双方のバランスシートに不測の大打撃を与え、金融システム不安を引き起こすが、当時の政府は、単なる景気循環の枠内での景気対策でいずれ終焉すると考えていた。正確に言うと日銀、大蔵省の役人は「地価はいずれ上がる」と思い込み、責任を追求される悪夢から逃避したかったのかもしれない。93年5月、日銀内部で50兆円の不良債権を予測したレポートが存在したらしいが握り潰されたという日経の記事もある。
当時は、著名な専門家、エコノミストで現在まで長期に亘る地価低迷を予測した者は殆どいない。少子化など地価の構造的下落要因が話題になりだしたのは90年代後半である。現在、早大教授、当時大蔵省銀行局課長の西村氏はモルガンスタンレー大槻啓子氏との対談で「当時の認識が甘かったと述懐し、さすがにバブルの調整が済んだと思われる90年台半ばを過ぎても地価が下がり続ける背景には大きな構造的要因があると思った。それが少子化でした」と語っている。
相場師の相場観の裏づけは「情報」に尽きる。市場の噂話の類からマクロの経済統計や要人発言に至るまで、目や耳に飛び込んでくる無数の情報の中からいかに正確で信頼に足るニュースをかぎ分けられるか、それこそがディーラーの死命を決する。現場の情報の分析とマクロデータの予測能力の欠如は相場師には致命的だ。
政府のまさに致命的な市場と言う現場認識の甘さ、総合的分析力さらに対応の遅れが不良債権を巨大に積み上げ、その処理の困難・複雑性を増幅させてしまった。傲慢で優秀な大蔵省の豊富な人材の中に「相場師」がいたら不良債権処理は早期に片付いていただろう。
90年代に日本経済に生起した事件は単なる株価や地価の大幅下落というものではなかった。一言で言えば、世界史的に60年から100年に1度と言った稀有な異常事件だったのだ(斉藤精一郎著 日本経済非常事態宣言)。
バブル崩壊を予感した藤巻氏には現在の地価はどう映っているのだろうか、日経ビジネス渡辺康仁氏の記事を再度紹介する。場所によってはピーク時の10分の1程度まで下がったこともあり「そろそろ大底圏に来ている」と分析してみせる。地価の今後の動向は為替相場だと言う。日本経済を再生させるには円安しかないと言うのが持論。例えば工場の建設コストなどの面で日本国内で投資する優位性が高まる。資産インフレの期待とともに土地への実需が地価を押し上げると予想する。ついでに言うと、ノーベル経済学賞受賞者のスティグリッツ米コロンビヤ大教授も「日本のデフレ克服には円安誘導が有効」と今日の日本経済新聞で発言している。
作者は、藤巻氏に「中国との優位性は果たして逆転するだろうか」と質問してみたい…。このような常識的なことしか思い浮かばない者は「相場師」に向かないかもしれない。
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