リーマンショックの再来か?世界株式市場急落の闇
株価が短期間で乱高下して急落していく世界同時株安が起きている。その震源は米欧だが、世界経済は本格的な景気減速の様相を呈し始めた。今回の世界株式市場の急落の不気味さは、リーマンショック時のようなドルの流動性の枯渇、銀行の貸し渋り、企業業績の急落などのパニック的事態は起きていないのに株価が短期で急落し、一向に底が見えてこないことだ。
将来の投資家心理を示す数値でVIX指数がある。「恐怖指数」とも呼ばれるこの指数はアメリカのシカゴ・オプション取引所が、S&P500を対象として、オプション取引の値動きを元に公表している指数で、VIX指数の数値が高いほど投資家が相場の先行きに不透明感を持っているとされている。
日本経済新聞は、VIX指数が、11月まで高水準で推移するとの見方が市場に広がっていると報じている。米格付け会社S&Pの米国債格下げを受け米株が急落した8月8日に48まで上げ、09年3月以来の高水準をつけた。また8月18日もVIX指数は42.67と高水準で推移している。リーマン・ショックの起きた08年の80台には及ばないものの、今年に入ってからは主に10~20台で推移していたものが急上昇したのだが、一般にVIX指数が40を超すと市場に恐怖が充満し、売られ過ぎになると言われている。
VIX指数は世界経済減速懸念と景気対策の手詰まり感から買う恐怖に苛まれ委縮している足元の投資家心理を等身大で反映しているともいえる。例えば東京市場で株価が急落すれば、PERやPBRなどのバリュエーションが割安に触れ、騰落レシオなどのテクニカル面からも投資家の買いが入っていた。しかし足元では回復を期待した機関投資家などの買いがほとんど入ってこないらしい。
いま起きている世界同時株安は、リーマンショックが与えた欧米政府のバランスシートの傷の深さや世界経済の構造変化、日米欧の政治の同時無力、政策の手詰まり感などが複合的に重なって引き起こされているという構図が浮かび上がってくる。そしてリーマンショックと比較することでより今回の世界同時株安の本質も見えてくるようだ。
■震源地欧米で起きていること
まず世界株式市場急落の震源地欧米で起きていることを見てみよう。欧州ではギリシャなど小国からイタリヤ、スペインなど中核国へ財政危機が波及し、PIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)と呼ばれる財政懸念国への多額の投融資を抱える民間金融機関のバランスシートへと不安が連鎖している。欧州当局も問題解決に向け手を打ってはいる。7月21日にユーロ圏首脳によるギリシャ二次支援の合意がなされ、EUとIMFからの公的支援としての1,090億ユーロを供与。さらに、欧州金融安定機構(EFSF)の機能強化なども決めた。さらに8月16日には独仏首脳会談が行われ「ユーロ圏経済政府」の設立や、財政規律の強化などで合意した。しかし市場が期待するユーロ圏の共通国債の発行やEFSFの増額が見送られたため、市場には失望感が強い。
市場の動きで見ると、8月10日には米国債格下げに続くフランス国債の格下げ懸念が市場に広がり、ギリシャ、スペイン国債を多く保有する仏大手銀ソシエテに関する経営懸念も加わり欧米株が下落した。さらに18日の欧州株式市場では大手銀行株が全面安となった。
欧州債務危機は米金融システムも脅かす。19日ロイターは、米ウォールストリート・ジャーナルが、欧州債務危機が米金融システムに波及する可能性への懸念から、米連邦準備理事会(FRB)が欧州の銀行の米国部門に対する監視を強めていると報じたことをきっかけに欧州株が下落したと報じている。
一方の震源地米国では米国債のデフォルトは与野党が土壇場で歳出削減の大枠で合意して回避されたものの、米政府は、債務上限の引き上げのため歳出削減義務という重荷を負った。その結果、8月18日発表の米国フィラデルフィア連銀製造業景況指数はマイナス30.7と、前月のプラス3.2から大きく下落し、09年3月以来の低水準となるなど経済指標が悪化するなか、これまでのような景気浮揚策として財政出動を取りづらくなった。
格下げを受けた米国債だが、足元では景気減速懸念の高まりからの質への逃避で米国債は米10年債利回りが一時2%を割り込むなど債券相場が上昇する反面、NY株価が急落している。米国国内景気の減速不安から消去法で米国債が買われ、株価は嫌気して下落しているという構図だ。
■市場の期待はQE3
米政府の景気対策が財政悪化から手詰まり感が強まるなか、その突破口は金融政策しか残されていない。FRBは株価の急落を受け実質的ゼロ金利を13年半ばまで延長するという時間軸政策を決定し声明として発表。これを受け9日は株価が持ち直したが、再び反落した。市場は時間軸政策よりも「利用可能な政策の道具を広く議論した」とする部分を好感したようだ。つまりQE3の可能性を嗅ぎ取ったわけで、いまマーケットの最大関心事は8月26日の米連邦準備理事会(FRB)のバ―ナンキ議長がさらに追加緩和へ踏み込む発言をするかに集まっている。この日、米ワイオミング州ジャクソンホールの「短期・長期の米経済見通し」というテーマで何を語るかが市場の行方を左右するからだ。もし、量的緩和第3弾(QE3)についてその可能性を示唆すれば、世界同時株安のターニングポイントになるかもしれない。
昨年の11月2日、FRBは市場金利を抑える目的で6,000億ドルの国債買い入れという大規模な量的緩和(QE2)を実行した。QE2は本年の6月末で終了したが、ドイツ、米国、日本(東日本大震災前)などの株価はこれを契機に上昇した。そしてQE2は昨年の同時期、同講演のバ―ナンキ議長の発言で示唆された。この辺の経緯が市場の期待を集めているわけだ。しかし、先のQE2の効果については否定的な見方もある。
QE2で長期金利を下げることによりデフレを回避して雇用を改善させるはずだたが、失業率は高止まりし、GDPも低迷している。むしろ発生した余剰マネーがエネルギー・食糧価格を上昇させ新興国のインフレを深刻化させ、新興国の景気の足を引っ張り、ひいてはガソリン価格の上昇となって米国民の個人消費を冷やし、ドル安も加速させたという見解だ。
足元の米国内の物価は高めで、地区連銀総裁間に追加緩和に対する慎重意見も多いのでQE3のハードルは高く、仮にQE3が実現したとしてもマーケットが一時だけの賑わいで終わるのではないかという冷めた観測がある。
■リーマン危機が起点だが相違も多い
いま起きている世界同時株安は欧米の銀行に疑心暗鬼が駆け巡った金融危機「リーマンショック」の再来を思い起こさせる。しかし相違点も多い。
欧米の債務問題はリーマンショックを起点に発生したといっても過言ではない。欧州の今回の金融危機はリーマンショックで経営危機に瀕した銀行をEU各国が救済した結果、各国の財政状況が悪化し、国債の金利が上昇したことに起因している。日経ヴェリタス179号は、リーマンショックを予測したことで知られる米エコノミスト、ノリエル・ルービニ氏の「欧州の悪循環の起点はリーマンショックだ。経営危機に直面した銀行を各国政府が救済した結果、財政が健全でなかった欧州各国が財政危機に陥った」とする見解を掲載している。
また米国債格下げに象徴される米国の債務問題も08年のリーマンショックが加速させたといえる。当時、銀行のバランスシートが大きく毀損し、流動性欠如を生じたためFRBは大手金融機関の不良資産を買い取ったり、不良資産救済プログラム(TARP)など行って救済した。また米政府の大型景気対策や自動車会社支援も加わり政府債務が増えた。00年時点の3兆4,000億ドルから11兆ドルに政府の借金が膨張した。
しかし、足元で見ると今回起きている信用不安はリーマンショック程の激震とはなっていない。日経電子版記事で、ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)を比較すると、今回の方が格段に上昇幅は小さい。リーマン危機では、「カウンターパーティー(取引相手)リスク」を合言葉に銀行同士が貸し渋りに走り、ドルの流動性が枯渇するところまで事態は深刻化した。今回も6月後半から米コマーシャル・ペーパー市場で「欧州銀の締め出し」(外国証券)が起きるなど不穏な動きも一部にあるが、各国中銀が流動性供給の安全網を整備済みであることもあって08年とは様相が違う。
企業業績もリーマン危機時のような急落はない。野村週報では、米国の企業業績もS&P500構成企業の11年4~6月期決算は8月12日時点(458社発表)では、企業業績が事前コンセンサス予測を上回った企業数の割合であるポジティブ・サプライズ比率が71.0%と堅調な状態が続いている。
上記のようにリーマン危機時の急激な信用不安や企業業績の悪化が起きていないにもかかわらず、なぜ株価の振幅幅が大きく、短期間のうちに急落トレンドに突入しているのか、株価急落の背景に今までの市場の経験則等で解明できていない本源的な未知のリスクがあるのではないかという不安にかられる市場関係者は多い。
■市場の混乱、困惑を解明するニューノーマル(新たな正常)とは
市場関係者の困惑を招いている世界同時株安の背景を解明するヒントは「ニューノーマル(新たな正常)」という経済学のニューワードにあるようだ。
PIMCOのCEOモハメド・エラリアンは、08年の自著「市場の変相」でこの言葉を造語して語った。エラリアンの主張はこうだ。「世界経済は新興国経済の台頭の反面、先進国は低成長、公的債務の膨張、失業率高止まり等が続くなど金融危機後は構造変化しており、世界はリーマンショック以前には戻れない。世界は全く今までとは違う「ニューノーマル」という低成長を甘受しなければならない事態に陥っていく。」
リーマン危機時のようなパニック的状態は金融市場や実体経済にも足元ではないが、ニューノーマルという新たな尺度で世界経済を見ると、08年の世界金融危機よりその病巣は広がり治癒の困難性を増しているともいえる。
08年の危機は金融機関のバランスシートの毀損という政府や中央銀行の制御可能域に病巣があった。今回はその病巣が治癒されることなく金融機関から政府債務として移転され、その結果、各国の政府債務の膨張というソブリンリスクとなり市場で不安視されている。おまけに欧米各国は国内の財政悪化の進行から債務削減を迫られている。躊躇すると格付け会社による自国債の格付け低下が待っている。この現実の前に立ちすくむ各国政府は即効性が高い財政出動という手が打てないのだ。しかもEUも米国もここにきて経済指標が悪化し、景気後退懸念が高まってきた。政策手段が手詰まりななか、さらなる景気悪化も懸念されている。
■中国経済のハードランニング恐怖
株安連鎖の処方薬としてQE3が期待されているが、先のQE2で実証されたように新興国のインフレを促進する副作用がある。思い起こせば08年リーマン危機後の世界経済を牽引したのは新興国だった。しかし足元の新興国経済は中国、インドで自動車販売の伸びが鈍るなど調整色が強まっている。その要因はQE2が促進させたインフレだ。中国は、昨年秋以降、5回にわたって中央銀行が利上げを実施した。しかし国内のインフレは収まる気配がなく7月の消費者物価指数(CPI)が前年同月に比べ6.5%上昇した。伸び率は6月の6.4%を上回り、08年6月の7.1%以来、3年1ヶ月ぶりの高水準となった。
中国政府は足元の物価高が続くなかで金融引き締めを緩められない。金融引き締めは中国の景気減速懸念を高める。中国経済の先行きに警鐘を鳴らすのは投資の神様ジョージ・ソロスや著名エコノミストのヌリエル・ルービニだ。彼等は中国経済はハードランニングする恐れがあるという見方をしている。インフレ抑制がすでに遅れ、バブルの兆候がある、固定資産分野での過剰投資が行き詰まり、成長率が転落するといったものだ。
リーマン危機後、世界経済を牽引した中国だが、リーマン危機の爪痕が中国経済の懸念材料となっている。08年のリーマン危機という世界的金融危機を受け、中国政府も4兆元にのぼる景気刺激策を採った。大盤振る舞いの流れで中国地方政府傘下の投資会社が不動産やインフラ投資を拡大した。日経記事によると地方政府傘下の投資会社が抱える債務額は10年末時点で最大14兆元(約180兆円)規模とされ、国内総生産(GDP)の3割強に相当する。なかには採算度外視の投資もある。しかし地方政府は分税改革で財政基盤が弱化しており、中国の景気減速が進めばこれらの投資は巨大不良債権化して金融システムに大打撃を与えることになる。市場は中国が新たな金融危機の震源地になる可能性を少なからず想定しなければいけないのだ。
■打つ手なく混迷が続く世界経済
世界経済が直面する数々の重荷と不確実性のなかで、EUの金融危機解決へ向けた動きも域内各国の国際競争力格差による財政状態が異なり多様な利害関係が渦巻く。例えば支援側のドイツは納税者である国民の納得や連立政権パートナーへの説得が必要となる。支援を受ける側は緊縮財政要請を受けての国民の賃金削減の説得などが求められる。これらの諸事情を背景とした水面下の駆け引きのためユーロ圏周辺国債務問題の根本解決が長引いている。米国では与野党による土壇場での米国債デフォルト回避のドタバタなど政治が機能低下している。
また欧米各国の景気対策も国内の財政悪化から手詰まり状態になっている。リーマン危機後、世界経済はニューノーマルを織り込み閉塞感と不透明感のなか漂流している。リーマン危機を根とする超過債務を抱え込む主体はその修復もされず金融機関から国家に移転したが、さらに解決の厄介さが増したといえる。各国の財政悪化から有効な景気対策も期待できない。投資家のリスク回避と不安心理が市場を支配し、市場の混迷が続くのだろう。