借家の立退料評価 後編 / 判例傾向と公共用地取得の借家人補償との関連

前回に続き借家の立退きをめぐる正当事由と立退料について判例に見られる傾向を論考する。

1、借家立ち退きに関する判例傾向

借家を巡る立ち退き判例について正当事由有無やその程度、さらに立退料の算定根拠については、判断基準が確立しているというレベルまで収斂されていなく、かなりまちまちで、裁判官の考えも統一されていない。

正当事由を判断する上での賃貸人、賃借人の賃貸建物の必要性の内容や程度は個々の事案で千差万別であり、契約の経緯や建物の状況なども多様で、このような状況から普遍的な基準を導きだすのは容易ではない。

立退料の提供は、それのみで正当事由の根拠になるものでなく、貸主・借主の一切の事情が総合的に勘案され、相互に補完し合って正当事由が判断される。立退料の提供が正当事由の補完要素であることは前回で書いた。

齋藤顕氏の「立退料による正当事由の調整 その現状と課題」(判例タイムズ1180号)は、近年の判例を、

  1. 立退料が考慮されることなく正当事由が肯定された裁判例
  2. 立退料の提供が考慮されても正当事由が否定された裁判例
  3. 立退料の提供が考慮されて正当事由が肯定された裁判例

に類別し、上記1、2については立退料が機能する範囲、限界を論考し、3の立退料が提供されて正当事由が肯定された裁判例の検討では立退料の算定方法に言及している。以下、上記の分類に従って判例傾向を考察する。

A、立退料支払いが考慮されることなく正当事由が肯定された裁判例

齋藤氏は、豊富に判例を挙げて、上記につき傾向を整理し考察しているのだが、本稿では当該判例の紹介は省略する。結論部分というべき判例の傾向は次の通りである。

  • 賃借人が倒産するなどして、使用の実体を喪失し、現在使用しているとは言い難いような場合
  • 賃貸人において、今後の生計の維持に密接に関連する使用の必要性が認められるのに対し、賃借人今後賃貸物件の使用を継続しなければならないような格別の必要性が認められない場合
  • 賃貸人に、その生計の維持や営業の帰趨に密接に関連する使用の必要性があるとはいえないまでも、明け渡しを求める合理的理由があり、賃借人に賃貸人を上回る必要性がない場合は、提訴にいたるまでの交渉経緯において、賃貸人が賃借人に対し明け渡し後の区分所有権の提供や不利益軽減措置等を講じていたことは、その内容や対応次第でもあるが、立退料の提供なく正当事由が肯定される事情と成り得る
  • 借家が朽廃とまではいえないまでも、老朽化の程度が著しく、修繕が物理的に可能であっても、それがもはや社会経済上賃貸人に課された修繕義務の範囲を越えていると認められる場合(修繕不能で賃貸人に修繕義務がないとしつつも、明け渡し問題の早期解決によって賃貸人が得る利益を考慮して、立退料の支払いが考慮された事例もあり、また明け渡しによって賃借人が被る影響が深刻であるとして立退料が考慮された事例もある。老朽化の原因が賃貸人の管理にあったときは別途検討が必要)
  • 賃借人の側に著しい不正行為があった場合

B、立退料の提供が考慮されても正当事由が否定された裁判例

齋藤氏は、この場合、立退料の提供が補完的要素として機能しなかった場合と、立退料の提供が補完的要素として機能する余地があったが、申し出があった立退料の金額では不十分とされたケースがあるとしている。

  • 賃貸人が賃借人の存在を知りながら賃貸物件を取得したことは正当事由を否定する方向に働く事情となり、賃貸人が主張する使用の必要性が現実的・具体的なものと認められない場合は、立退料の提供があっても正当事由が否定される(※不動産業者が他人の土地を買い取り、借地権者や借家人を立ち退かせて、その土地を転売し、あるいはマンション建築など有効利用して利潤を得ようとするときは、借地権者、借家人が立ち退くことで被る経済上の出費及び損失を完全補償するのでなければ正当事由は備わらない。東京地判昭62.7.22 判例時報1275号81頁がある)
  • 賃貸人の使用目的が、明け渡しを受けた後、他に賃貸するなどして増収を図ることにある場合は、立退料の提供があっても正当事由が否定される事情となり得る
  • 明け渡しが賃借人の生計の維持、営業の帰趨に重大な影響を及ぼすような場合で、賃貸人に差し迫った事情がなく、使用の必要性が一応認められる程度の時は、立退料の提供があっても正当事由が否定される

C、立退料の提供が考慮されて正当事由が肯定された裁判例と立退料の算定方式

上記A、Bのケースの裁判例について齋藤氏の論文から紹介してきた。「C、立退料の提供が考慮されて正当事由が肯定された裁判例と立退料の算定方式」については、(社)東京都不動産鑑定士協会による「借家権と立退料」、(社)日本不動産鑑定協会法務鑑定委員会による「弁護士との共同研究会研究課題取りまとめ」並びに澤野順彦著「借地借家の正当事由と立退料」を参考にして考察を進める。

まず具体的案件として上記「借家権と立退料」に掲載されている近年の主要判例の中から2事例の内容を下表に要約した。

上記案件を含む近年の主要判例では、正当事由について、賃貸人、賃借人の事情、賃貸借の経緯、建物の状況などを総合勘案の結果、立退料提示があれば正当事由が補完されるとして肯定されている。

同書によると近年の判例では、「比準方式」は基本的に採用が見られず、「賃料差額還元方式」と「割合方式」が多い。また「収益価格控除方式」は最有効使用との乖離が大きい場合に見られる。

比準方式は借家権価格の取引が衰退もしくはマーケットでの取引が殆どないことから採用は非現実的であり、控除方式は最有効使用状態であれば「自用の建物及びその敷地価格=貸家及びその敷地価格」となるので控除不能となり方式適用ができないからである。

これまでの判例の傾向を長期スパンで概観すると、立退料の算定要素として、借家権価格、移転実費、営業上の損失などが見られ、その中でも借家権価格が中心的位置を占めている。

借家権価格については、借家権自体が譲渡性に制約があり、取引慣行が殆どないため、その経済価値が顕在化することは乏しく、現実の取引等でその存在を確認することは難しいのだが、借地借家法により保護された確たる権利であり、借家人の利用権を不随意の立退によって賃貸人が消滅させるときは当事者間の清算として利用権の対価ともいうべき借家権価格を賃貸人が補償すべきである、というのが裁判所の認識と思われる。

(社)日本不動産鑑定協会法務鑑定委員会による「弁護士との共同研究会研究課題取りまとめ」に引用されている「立退料の算定基準としての借地権価格、借家権価格の評価(澤野順彦著 判例タイムズ)」によれば、昭和55年から平成10年までの19年間における借家の明け渡しを巡る判例69件のうち、居住用借家権19件中の7件について借家権価格が考慮され、営業用借家事例41件中の10件について借家権価格が何らかの形で考慮され、居住・営業併用借家事例9件のうち4件について借家権価格が何らかの形で考慮されている。

しかし、平成11年以降、淺生判決と呼ばれる同一裁判長による判決で、立退料で借地権価格、借家権価格を明確に否定する4判例が登場した。その否定する根拠は「高額な敷地価格と僅かな建物価額の合計額を基に一定割合を乗じて算出される借家権価格で立退料を算出するのは、正当事由があり賃貸借が終了するのに、あたかも賃借権が存在するかのような前提に立って立退料を算定するのは思考として一貫性を欠き相当でない」というものだ。

この見解に対しては齋藤顕氏が前掲の論文で「立退料は、あくまで正当事由の補完的要素であって、立退料の提供なくしては正当事由が認められない場合に初めて考慮されるものであるから、賃借権が現に存在することを踏まえ、これを解消するための費用を算出するために借地権価格等を考慮することが特に矛盾するとまでは解されない」とする指摘がなされている。

2、正当事由と立退料の関係の類型化

正当事由と立退料の関係を方程式などで計数処理できれば、提訴する前段階で当事者にある程度の予測ができることになり、紛争の予防にもなるし、訴訟となっても判例の方向性として正当事由の有無・その程度の解釈がさらに収斂していくし、立退料の鑑定評価も正当事由の判断は裁判官の専権事項としながらも、それとの関係性で求める評価額・算定値の精度が高まる。その結果、裁判所の利害関係調整機能が充実することが期待される。

しかし正当事由と立退料の関係を計数処理することは、定量化が困難な多様な諸要因を総合的に勘案しなければならないため、極めて難しい。とはいえこれまでの幾多の判例や学説を分析すると方程式に演繹することはできないまでも、諸要因の組み合わせから、ある程度の傾向を窺い知ることはできる。

澤野順彦著「借地借家の正当事由と立退料」で澤野氏は、具体的紛争について正当事由と立退料を判定するには次のように2段階で類型化を行うとしている。

①正当事由の充足程度の判断基準設定

②充足程度の各段階に応じて必要とされる立退料の内容及びその程度

①正当事由の充足程度の判断基準設定

正当事由の充足度については、土地・建物の使用を必要とする事情の程度により貸主・借主双方について、下記のA~Dの4段階に分類し、それぞれを比較した組み合わせは16通りとなる。判例、学説を参考にそれぞれの場合の明渡しの可否、立退料提供の要否をみたものが下表である。

  • A:死活にかかわる段階(土地の返還を受けられないこと、または土地を返還することが、その当事者の生活を破壊するような状況にある場合)
  • B:切実な段階(Aの段階ほどではないが、土地の使用を必要とする事情が居住・営業にとって切実な場合)
  • C:望ましい段階(たとえば、地主にとって差し迫って土地の返還を受ける必要はないが、できればその返還を受けて建物を建て替えるなどして土地を最有効に使用し収益を増加したい、あるいは他に居住用建物の敷地を持っているが、現在の借地も通勤に便利なので引き続き賃借したい場合)
  • D:わがままな段階(地主側において当面は使用する必要はないが、一応の期間が満了したので取りあえず返還してもらいたい、あるいは借地人が賃借する土地をほとんど使用していない場合)
  • -印:ほとんど立退き料の提供がなくても明渡しが認められるであろう場合
  • ○印:立退き料提供があればおおむね明渡しが認められるであろう場合
  • △印:立退き料提供があれば明渡しが認められる可能性もあるが、明渡しが認められないこともある場合
  • ×印:立退き料を提供しても明渡しが認められることはない場合

②必要とされる立退料とその程度判定

必要とされる立退き料については、立退き料の提供により明渡しが認められる場合であっても、正当事由の充足の程度により、立退き料の内容及び額が異なる。貸主が上記AからD、借主がB、C、Dという組み合わせで、イ移転実費、ロ借地権価格又は借家権価格、ハ営業上の損失、生活上の利益に対する補償について、各組み合わせによるマトリックスの表に補償額の量的関係を整理している(澤野順彦著「借地借家の正当事由と立退料」の46~47ページに掲載されているが本稿では当該内容の紹介は省略する)。

3、公共用地の損失補償における借家人の通損補償算定

立退料評価で移転実費、賃料差額補償、営業損失補償を行うとき、公共用地の取得に伴う損失補償基準に係る用対連基準等における借家人に対する通損補償を参考に鑑定人はこれらを算定する。公共用地の損失補償における通損補償的な考え方に基づいて算定される補償額や借家人補償的な移転先の新賃料と現在賃料の差額を一定期間補償するような考え方は、判例の中でも採用されている。

公共用地取得に係る当該基準には、権利補償としての借家権の消滅に対する補償はないので立退料という概念はない。公共事業施行で賃借を継続することが困難で転出せざるを得ない借家人に対する「通損補償」として行われる。

借家人補償に関連する通損補償項目としては以下になる。

  • 店舗造作等に係る補償
  • 借家人が附加した内装、造作、建物設備は、建物と分離不可分であるため、建物補償として、建物所有者に補償されるのが原則。しかし、近年は借家人の店舗造作等について建物本体と区別して、借家人に直接補償する起業者が増加している。この場合、用対連基準等に補償額算定の明確な基準がなく、起業者間で統一が取れていないのが現状(前掲書「借家権と立退料」から引用)

  • 動産移転補償
  • 動産の移転に要する費用の補償

  • 営業補償
  • 営業補償には、①営業休止の補償、②営業規模縮小の補償、③営業廃止の補償がある。営業廃止補償は例外的なもので営業休止補償が大半を占める

  • 借家人補償
  • 家賃差額補償と一時金に係る補償からなり、家賃差額補償は移転先の新賃料と現在の賃料との差額の一定期間分を補償する。一時金補償は借家人に返還されない一時金(礼金など)と返還される約定の一時金に係る補償がある

  • 移転雑費補償
  • 工作物、動産等の移転に伴い生ずる雑費の補償で、移転先選定に要する費用として宅建業者への手数料、移転先選定に係る交通費、日当などがある

上記の通損補償項目の中から営業補償と借家人補償について言及する。

■営業補償

営業補償のなかで例外的に適用される営業廃止補償より圧倒的に多いのが営業休止補償で、公共用地取得で移転しなければならず、一時的に営業を休止する場合に行われる。営業休止補償の各費目の内容と算定方法は次の通りである。

A、収益減の補償

休業期間中に通常の営業を行っていたら得たであろう収益を補償するものである。

収益減の補償額=認定収益×休業期間

B、固定的経費の補償

企業等は営業休止期間でも固定して支出しなければならない固定的経費がある。これらの経費を損失として補償するもので、収益額の認定の過程で損金処理された経費の中から認定される。用対連細則で例示されている固定経費は以下である。

  • 公租公課
  • 電気、ガス、水道、電話等の基本料金
  • 営業用資産の減価償却費及維持管理費
  • 借入地代、借家家賃、機械器具使用料及び借入資本利子
  • 従業員のための法定福利費
  • 従業員の福利厚生費
  • 従業員のための賞与、同組合費、火災保険料、宣伝広告費等

固定的経費の補償額=固定的経費認定額×休業期間

C、従業員に対する休業手当相当額の補償

企業者、事業主が負担する営業休止期間に相応する従業員の休業手当相当額である。

従業員に対する休業手当相当額=従業員平均賃金×80%×休業期間

D、得意先喪失の補償

営業を一時休止することによりまたは店舗等の場所を移転することにより、営業再開後の一定期間に一時的に得意先を喪失し、従前の営業実績に比べ収益が減少することにより生ずる損失に対して補償するものである。

得意先喪失の補償額=従前の1ヶ月の売上高×売上減少率×限界利益率

※売上減少率は、営業再開後の減少した売上高の従前の売上高に対する比率で、用対連基準細則第27の別表第8に規定されている。

※限界利益率は、売上高に占める固定費及び利益の割合であり、得意先喪失の補償は休業・移転に伴なう売上高減少額のうち、売上高減少に応じて減額した変動費を控除して補償される。

E、移転に伴なうその他費用の補償

移転広告費、開店祝い費等の補償

以上の営業休止補償の費目や算定方法を踏まえ、具体的な営業補償事例を「営業補償の実務(公共用地補償研究会編著)」から次に紹介する。

◆営業補償事例◆

公共用地取得で建物の借家人に対し、賃貸借を継続することが困難として借家人補償を行い、移転する際の準備期間及び動産の移転期間として7日間の営業休止期間を認定。

1)所得減の補償

所得認定は過去3カ年の所得税の確定申告書の提出を求め、検討の結果、直近年度のものを採用し補償額を算定。

年間所得金額=647,646円

2)得意先喪失の補償

一時的に得意先を喪失することによって生ずる損失額を下記の通り算定。

1ヶ月当たり売上高=2,001,990円×(白色申告収支内訳書より)×1/12=166,832円
売上減少率=80/100(細則別表第8より飲食店業符号13・構外移転より)
限界利益率=(固定費+利益)÷売上高=(779,399+647,646)÷2,001,990=0.713(※固定費は白色申告収支内訳書の経費より水道光熱費除く)
算定式:166,832×0.8×0.713=95,160≒95.100

3)固定経費の補償

白色申告収支内訳書の経費及び事業主が記録を行った簡易な帳簿等より次の通り認定。

▼固定経費内訳書


4)移転広告費

移転広告費、移転通知費及び開店祝費として移転広告費認定計算書により242,100円を補償する。

以上から営業休止補償金は以下となる。
 
▼営業休止補償金額総括表

出典:「営業補償の実務(公共用地補償研究会編著)」

■借家人補償(賃料差額補償)

A、家賃差額補償

移転先の標準的な新賃料と現在の賃料の差額の一定期間分を補償するものである。算定式は下記の通り。

家賃差額補償=(標準家賃月額-現在家賃月額)×12ヶ月×補償年数

※標準家賃:従前の賃借建物に照応する建物の当該地域における新規賃貸事例において標準的と認められる賃料

※補償年数(原則)

  • 従前の建物との家賃差3.0倍超
  • 4年

  • 従前の建物との家賃差2.0倍超3.0倍以下
  • 3年

  • 従前の建物との家賃差2.0倍以下
  • 2年

B、一時金に係る補償

借家人に返還されない一時金(礼金など)と返還される約定の一時金に係る補償がある。算定式は下記の通り

一時金(礼金)補償額=標準家賃月額×補償月数

一時金(敷金)補償額=(標準家賃月額×補償月数)-従前貸主からの返還見込額×{(1+r)^nー1}/(1+r)^n

※r:年利率3.0% n:補償期間(標準10年)を標準とする。

■前回記事
  借家の立退料評価 前編
      

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