借家の立退料評価 前編

立ち退き料は、一般的に貸主側の正当事由に基づく更新拒絶、解約申し入れによる立ち退きを請求する場合に発生することが多く、正当事由の一事由として、またはこれを補完するものとして、借主に対して支払われる金銭その他の代替物である。

しかし、立ち退き料については法制度として確立されていないので、当事者間でどのような債権や請求権が発生するのか必ずしも明確ではないが、借家の立ち退き料の内容として一般に考えられるものを、(社)日本不動産鑑定協会法務鑑定委員会「弁護士との共同研究会研究課題取りまとめ」から紹介すると、

  1. 引越し料などの移転に要する実費
  2. 家賃の差額等の補償
  3. 造作買取ないし費用償還額の補償
  4. 借家権価格の補償
  5. 営業の補償
  6. 生活上の利益等の補償
  7. 再開発利益の配分
  8. 精神的損失

からなる。借家人が不随意の立ち退きに伴なう移転実費や造作、営業権等の有形資産・無体財産権の喪失補償、家賃差額補償、利用権の対価ともいうべき借家権価格に加え、場合によっては再開発利益の配分から精神的損失までと広範に亘る。

同書によると立ち退き料が認められる初期の段階では、移転実費あるいは家賃の差額補償といった賃借人が他に移転することにより、直接被るであろう実費の補償にウエイトがあったが、次第に借地権価格、借家権価格といった権利の対価の補償に重点が移り、最近では再開発利益の配分、生活上の利益の補償についても考慮がなされるようになってきている。

不動産鑑定評価基準の借家権価格の鑑定評価は、上記に列挙する立ち退き料の内容のうち、2、家賃の差額補償と4、借家権価格の補償を主として捉えていると思われる。
基準は、「借家権の取引慣行がある場合の借家権価格の求め方」と「不随意の立ち退きがある場合の借家権価格の求め方」に分類し、それぞれ以下のように定めている。

1、借家権の取引慣行がある場合の借家権価格の求め方

基準によると、「借家権の取引慣行がある場合における借家権の鑑定評価額は、当事者間の個別的事情を考慮して求めた比準価格を標準とし、自用の建物及びその敷地の価格から貸家及びその敷地の価格を控除し、所要の調整を行って得た価格を比較考量して決定するものとする。借家権割合が求められる場合は、借家権割合により求めた価格をも比較考量するものとする。」

まとめると、

  1. 比準価格(標準となる手法)
  2. (自用の建物及びその敷地の価格)-(貸家及びその敷地の価格)×所要の調整率
  3. 借家権割合が求められる場合はそれを比較考量

※決定に際しては、将来における賃料改定の実現性とその程度、契約条件等の状況を総合的に勘案する。

2、不随意の立ち退きがある場合の借家権価格の求め方

基準によると、「借家人が不随意の立退きに伴い事実上喪失することとなる経済的利益等、賃貸人との関係において個別的な形をとって具体に現れるものがある。この場合における借家権の鑑定評価額は、当該建物及びその敷地と同程度の代替建物等の賃借の際に必要とされる新規の実際支払賃料と現在の実際支払賃料との差額の一定期間に相当す額に賃料の前払的性格を有する一時金の額等を加えた額並びに自用の建物及びその敷地の価格から貸家及びその敷地の価格を控除し、所要の調整を行って得た価格を関連づけて決定するものとする。」

まとめると、

  1. (新規の実際支払賃料ー現行支払い賃料)×一定期間+前払的性格を有する一時金の額等
  2. (自用の建物及びその敷地の価格)-(貸家及びその敷地の価格)×所要の調整率

※決定に際しては、当事者間の個別的事情を考慮するほか、将来における賃料改定の実現性とその程度、契約条件等の状況を総合的に勘案する。

現実には、基準が想定する「取引慣行がある場合の借家権価格」を求めるケースは極めて乏しい。借家権と呼ばれる建物賃借権は家主が承諾しないと譲渡できないため、借家権価格を顕在化されるため売却して換金することが原則として制約されているので、現状で借家権価格の成熟した市場や取引慣行が殆ど存在しないからだ。

一方、「不随意の場合の借家権価格評価」は賃貸借当事者の一切の事情を考慮して正当の事由の存否と強弱、さらには賃借人側の当該物件の必要性の程度が導かれ、それらとの関連で立ち退き料が算定される。つまり、客観的な市場を前提とした正常価格でなく、契約当事者だけでの間に成立する価格で、貸主すなわち「貸家及びその敷地の所有者」が、借家権を取得することで市場限定が起き、当該市場限定による市場価値を適正に判断する限定価格に近い価格となる。

しかし、限定価格を求めるには、まず市場からの乖離を見るため正常価格を把握する必要があるが、借家権価格の市場は現実には存在しないため、限定価格を求める前段の正常価格が求められないという悩ましい問題がある。

借家権市場の現実についてさらに言及すると、居住用建物については、有償で借家権を取得して居住しようとする者が殆どいないので居住用建物の借家権が交換市場において市場価値を形成するということはほとんどない。営業用建物の場合には、通常は、借家権の対価だけではなく、営業権(暖簾代)の対価、譲渡人が付加した造作の対価等も含めて、市場価値を形成している場合がある。

かつて著名な商業地など希少立地の店舗の場合、借家権価格として価格形成がなされていた。例えば、「昭和30年代において、巷間に於いては借家権の名目で取引があり、特に大都市の小売商店街においては間口一間当何万何千円という価格での取引」とか「銀座における飲食店ビル内における店舗借家権の自由転々譲渡が行われていた。家主への事前承諾料名目として取引金額10坪×500万円=5,000万円などという売り物があったが…以下省略」(社団法人東京都不動産鑑定士協会 借家権と立ち退き料)。同書によるとこのような借家権の売り物件は、飲食店の景気減退で、借家権価格部分に移転する超過利潤が消滅しているため、近年でほとんど見られなくなっている。飲食店で近年、盛んになってきた居抜き売買の形態について次に紹介する。

3、飲食店の居抜き売買について

飲食店の場合、居抜き売買とか造作権譲渡と呼ばれ、賃貸人の承諾を得て、次のテナントへ店舗内の内装や造作が譲渡されるケースが見られる。つまり、居抜き店舗という形態で、同業種の次のテナントへ店舗内の内装や造作がそのまま移転する場合には、敷金、保証金、礼金等の一時金のほかに内部の造作・備品への譲渡料が伴うことがある。

そして当該譲渡料が設備や造作など有形資産の価値を超える場合、譲渡店舗の顧客評判やブランド力などの営業権価値に加え利用権対価の借家権価格が内在することも考えられるが、前述のように飲食店の景気低迷で超過利潤が剥落しているため、その可能性は低いようだ。

居抜き売買は譲渡側、譲受側の双方にメリットが認められる。譲渡側である退店テナントからみると、原状回復をして賃貸人にスケルトン状態で返すには、坪単価50,000円~と言われる費用がかかり、解約日までの空家賃や保証金の償却も負担しなければならない。一方、譲受人側である出店テナントから見れば、スケルトン物件への出店は、内外装や厨房などの設備、備品等を全て揃えなければならず、一般に坪あたり45~80万円ほどの費用を要すると言われている。

飲食店は業態としてライフサイクルが短く、出店から3年以内に撤退となるケースも多いため、比較的使用可能な設備が多く存在する。しかし、賃貸人が当該造作等を譲渡することを認めている契約と造作譲渡を認めず原状回復を賃借人に義務付けている契約があるため、事前に契約書の内容や賃貸人の意向を確認しておくことが肝要となる。

最近は、ネット通販を中心に業務用の厨房機器、エアコンなどで廉価な中古品の流通が多く、設備工事業者間の値引きも熾烈なため、居抜きで収まらない変更・追加工事が多い場合は、居抜きのコストパフォーマンスが低下するケースも見られる。

4、借家立ち退き料を巡る近年の判例

旧借地法、借家法・新借地借家法では貸主が賃借人に立ち退きを求める場合は、「正当の事由」があることが要件となっている。正当の事由の判断は、

  1. 賃貸人及び賃借人が建物の使用を必要とする事情
  2. 賃貸借に関する従前の経過
  3. 建物の利用状況及び建物の現況
  4. 賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出

の4点からなる。これらを基準に裁判では貸主・借主の一切の事情を考慮して正当の事由の有無が決められる。つまり貸主・借主の事情を具体的、総合的に勘案した結果、立ち退き料を支払わないで立ち退きを求めることもできるし、高額な立ち退き料を支払わなければならない場合もある。具体的な事情によっては、高額な立ち退き料を提示しても借主が応じなければ、立ち退きをできないケースもでてくる。

昭和27年3月18日最高裁判決は、家主が立ち退きを請求する正当事由としては不十分だが、家主が立ち退き料として相当額の金員を提供するならば、家主側の有利な事情の一つとして評価し、正当事由を補完するという考え方を取った。ここでの立ち退き料とは借家人が移転先となる代替家屋の獲得と移転の困難、及び移転することによる生活上の不利益を軽減し、賃貸家屋を使用する必要性を減少させるという意味で、立ち退き料が正当事由を補完するという解釈である。

さらに昭和46年11月25日最高裁判例では、家主が申し出た立退料の額と格段の相違のない範囲内で裁判所が決定する額の立退料ならば、家主がその金額を支払う意思を表明して、その立退料の支払いと引換えに家屋の立退きを求めている場合には、家主が明示した立退料の支払いと引換えに立退き請求を容認することが出来ると判示された。

立ち退き料の提供がそれのみで正当事由の根拠になるものでなく、貸主・借主の一切の事情が総合的に勘案され、相互に補完し合って正当事由が判断され、立ち退き料の提供が正当事由の補完要素であるという理解が以後、定着することになる。

次回は借家の立ち退き料を巡る近年の判例に言及、参考にしながら、公共用地取得に伴う損失補償基準などを加味して、具体的案件での借家立ち退き料の評価手法を論考する。

■次回記事
  借家の立退料評価 後編
      

おすすめ記事