不動産取引価格のインターネット公開
■インターネット公開のスタート
国土交通省が4月27日からスタートさせた土地やマンションなどの土地取引価格情報のインターネット公開は、スタート直後の1週間で282万件の利用数を記録した。これは3月に公表された06年公示価格発表直後1週間の145万件を大きく上回った。
公開されたのは、東京23区や名古屋、大阪など一部の大都市で、昨年7月から12月までにあった1万7,609件分の取引。取引価格のほか、住宅地や商業地といった土地の種類、更地か建付地(建物付き)かどうかなどで区分所有のマンションの取引も公開されたが、建物については築年数や構造が掲載された。個人情報保護の観点から個別の取引を特定できないように所在地は市区町村ごとに大字や町名などまでを表示に止められている。06年度から調査対象地域を全国の政令都市を中心に拡大し、ゆくゆくは全国を公開エリアに包含する予定だ。
土地取引価格情報の公開は、地価公示制度とリンクして実施されているので、地価公示評価員である不動産鑑定士が、手足となって取引情報の調査にあたる仕組みとなっている。まず国土交通省土地鑑定委員会は、法務省から登記移動情報の電子データの提供を受け、買主にアンケート調査を送る。買主は、アンケート調査に取引価格をはじめいくつかの定められた事項を記入後、土地鑑定委員会が調査を委託している日本不動産鑑定協会に回答票を返信する。回答票はPDFファイル化され協会のサーバーに登録される。回答票は、地価公示の分科会単位で振り分けられ、作成担当になった不動産鑑定士が協会のサーバーにアクセスしてデータを取得し、回答票の内容を現地や法務局、官公署などで調査、補充し、その結果を入力して取引事例カードを作成、再び鑑定協会のサーバーへ登録することになる。
稼働中は膨大なトラフィックがネットワーク上を行き交うため、通信の安定性、速度、高セキュリティなどの観点から鑑定協会のサーバーはNTTコミュニケーションズのホスティングサービスを導入し、耐障害性が高いデータセンターで厳重に運用、保守管理される。地価公示評価員のクライアントPCと協会サーバーのデータ通信は、クライアントサーバー方式でSSL-VPNで行われる。
SSLは、インターネットバンキングなどウェブベースでの重要な通信を行う場合に使われ、ブラウザに実装されている暗号化技術であるが、さらにVPN(仮想閉域網)で、アクセス回線はADSLや光などの公衆回線を使うものの公衆回線網の上に、VPN装置を使い、あたかも専用線網のような拠点間通信を実現する。悪意の他者がインターネット上で情報を見たり改竄ができなくなるため、セキュリティが高く、専用線と比較するとコストが安いのが特徴だ。IE6.0以上のブラウザがあればクライアントPCに専用ソフトのインストールがいらない。
■公開後の印象
スタートして間がない点は割り引いても、国交省「土地総合情報システム」のサイトを見て、「期待はずれ」、「思ったほど役に立たない」という印象を持った利用者が多いのではないだろうか。四半期ごとに公開されるリアルタイム性は評価できるし、取引件数の表示や、取引価格帯のヒストグラム表示でエリアの取引頻度による市場性や価格帯のトレンド把握にあるレベルまでは参考になるが、土地という複雑多岐な価格形成要因を内在する「財」の一部の情報を切り取って公開してもストレスが残るだけで、所詮、不動産価格は、物件が特定され全体像が明らかにならないと情報として機能しないものだと改めて認識した次第である。
とはいえ、公開エリアがこれから全国に波及し、情報量が蓄積されていくと各方面へ計り知れない影響力をもつことは間違いないだろう。国交省は、反応と手応えを測りながら、機を見て公開情報項目を増やしていくことも考えられる。今後、「個人情報保護」と「不動産市場の透明化、活性化という公益性」の綱引き如何によっては、取引物件が特定される具体的な地番などが情報公開される可能性もある。また登記申請時に取引当事者に取引価格のアンケート回答を義務付けると、100%近い回収率となり、国家的スケールの巨大なデータベースが出現することになる。
いままで取引データを半ば独占的に収集してきた不動産鑑定業界や不動産業界は、情報を抱え込んでいるだけで、取引当事者や依頼者より優位に立てたが、取引情報の一般公開で、今後は情報を加工するなど高次元のコンサルタント力を磨かねば存立基盤が揺るぎ、生き残れなくなる。これを機に業界の体質改善、業務の高度化が、一気に進むことは間違いない。
特にネットワーク化の流れから遅れた不動産鑑定業界は、公開制度の新スキームを支えるネットワーク環境の開発プラットホーム(SSL-VPN、RDBオラクル、データファイルの統一フォーマット)を活用して、協会本部と各地方の鑑定士会を結ぶ「REA-NET」を構築し、各評価員レベルでの1次~5次データまでの閲覧やASP方式のグループウェアを活用した情報共有強化を図る重層的システムの実現を検討しているようだ。
■公開をめぐる賛否両論
不動産取引価格公開を巡っては、当然ながら賛否両論があった。まず不動産業界は、今回の不動産取引価格公開制度については、いまある評価制度の精度を高めるべきで新たに制度を創設する必要はないと主張していた。そもそも取引価格情報を公開すれば不動産市場が活性化するとの主張の根拠が、抽象的でその効果が疑わしく、不動産は固定的で個別性が高く、その価格形成は多面性があり、さらに売り手買い手の個別的事情を反映して価格が決定されるので、取引価格を公表することで透明性が高めるよりも市場を逆に混乱させることになりかねないという懸念を表明していた。
つまり車やTVなど工業製品は、メーカー名と製品番号の簡単な情報だけで現物を見なくても製品の品質やデザイン、価格、人気度などが明確になるが、不動産の場合、取引物件を特定せずに価格を公表しても物件の全体像が掴めないため、価格情報は、価格形成諸要因の相互連関の糸が切れた凧のように行き場を失い宙をさ迷うことになる。例えば、道路幅員が無道路か2mか6mか、地形が三角地か整形地か、裏に土石流を心配しなければならない山林や傾斜地があるのか、商業地で表通りか裏通りかなどの価格形成要因の相互作用で極端な場合、価格が2~3倍違うこともある。
エリア、価格、面積などに限定し物件を特定できない状態で価格を公開すると当該不動産の複雑な価格形成要因がリンクされないので、買いたい人は公開価格の中から安い取引価格を、売主は高い取引価格を恣意的に援用してしまうのが人情だし、その妥当性の検証ができないため、不十分な価格情報が一人歩きする懸念が大きい。
そこで地価公示価格を調べることになる。地価公示価格は、そのエリアで特別な個別的要因がない標準的な更地を原則として採用しているため、標準価格の水準を容易に把握できる。さらに公示価格は、取引事例から事情の有無や個別性などの標準化補正を行って導き出したものであるため、公開されている取引事例価格は公示価格にリンクしている。つまり公示価格は、取引事例価格が適正値まで収斂した価格ともいえる。
一方、取引価格公開を促進すべしという意見は、国内の不動産取引の情報公開の閉鎖性が諸外国に比べ強く、国内の不動産取引のネックになっているとの認識がある。03年8月に国土交通省が実施した世論調査では、不動産取引に対して「難しそうでわかりにくい」「何となく不安」という人の合計が約8割にも達しており、不動産取引はわかり難い、情報公開が不透明だといった評価が多い。国交省がナマの取引データを公表すると、
- 一般の売買主の市場に対する不安感が軽減され取引が活性化する
- 透明性の高まった市場環境に内外の投資家の資金が流入する
- 土地の収益性や利便性を自らの責任で合理的に判断しようとする購入、売却希望者が増えているので合理的価格形成をより促進することになる
といった効果などが生まれる。欧米などの先進国に比べ中古住宅の取引量が少なく、特に建物の維持管理の程度やリフォームの実施などが住宅価格に反映されず、経年で画一的に減価する中古不動産市場の適正な価格形成を図り、市場を活性化する狙いもある。
またイギリス、フランス、オーストラリア、香港、シンガポール、米国の一部州では、土地取引価格は登記所または登記所の協力で税務署によって把握され、登記簿に記載し、公開している。日本国内もJ-REITで購入価額か情報公開されるなど透明性は徐々に高まっているが情報公開が先行する先進諸外国に比較すると未だ十分でない。
■今後の展望など
取引当事者である民間の買主、売主など民間ユースでの便益の向上が注目されるが、実は公開制度の推進者である国土交通省が法務省の登記移動データと連携することで行政同士がリンクされ、取引のナマデータが行政庁間を横断してオンラインで流れるシステムが出来上がったことの持つ意味は関係業界にとって重い。今後、政府は、開示項目を増やし、アンケート回収率を向上させる方策を取ることも可能である。しかも取引事例データの版権は国土交通省にある。
法務局は、登記簿のオンライン化に引き続き、地図(公図)の電磁的記録、さらには数値地図化の作業を進めている。数値地図が全庁で完成すれば、デジタルデータとしてネット公開となる。登記簿の物件地番に関連する公図、地積測量図、建物図面がシームレスにインターネットで閲覧可能になる予定だ。そうなると法務省から国土交通省への登記移動情報の電子データの提供に公図等のデジタルデータが含まれることも予測できる。
さらに6月に議員立法で「地理空間情報活用推進基本法案」が衆議院に提出されたが、これまで各省庁が縦割りで進めてきた地理情報システム(GIS)の連携・統合と、衛星測位とのシナジー効果によってさまざまな民生利用を可能にし、高度な空間情報を活用できる社会の実現、国民生活の安全性・利便性の向上などを謳っている。具体的には、都市計画、公共施設の管理、不動産登記、地籍調査など、地図の利用が必要な行政の各分野において、基盤空間情報の活用に努めなければならないことを規定。地籍調査や不動産登記など、これまでバラバラだった各分野の基盤空間情報の共有化を進めていく方向性を打ち出している。
将来、市の都市計画図、道路台帳図、上下水の管理図面などはウェブ上で全て閲覧でき、各行政間でデータ交換が可能になる時代が到来すると取引データ調査のかなりの部分がオンラインで簡単に実行できるようになるので、公開事例調査の実行部隊である地価公示評価員の役割は、広域的に取引データを加工したり、価格形成要因などの多角的な解析へ重心を移行させなければならなくなると思われる。各地方士会単位で取引情報を後生大事にバリアを巡らせ抱え込むセクト主義的な時代は確実に遠のいていっているのではないだろうか…。
立花隆の著書「滅びゆく国家 日本はどこへ向かうのか」流に鑑定業界をめぐる今日的時代状況を言うと「いま不動産鑑定業界は、危ない大きな曲がり角をまわりつつあり、百年に一度あるかないかの大きな曲がり角だ。そしてまだ、曲がりつつあるところだから、その曲がりの全貌は見えない。しかし、あと何年かしたときに、その変化が見えてくる。」
時代への危機感が鑑定業界の叡智を覚醒させることを願うばかりである。
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