駅前商店街再生 / 宗像市の挑戦

政令市福岡市、北九州市を両翼にその中間に位置する両都市圏のベッドタウン宗像市、人口約9万人の九州の中都市は、近年、優れた歴史的遺産と豊かな自然に恵まれた住宅都市として推移してきた。

西アジアからシルクロードを経て朝鮮半島、対馬、壱岐の海路を通り、沖ノ島、宗像に至る古来からの海北道中は「海のシルクロード」と呼ばれ、歴史の舞台を彩った宗像海人の伝承が悠久の時空を超え歴史ロマンへ誘う。宗像沖の玄界灘の荒海に浮かぶ孤島沖ノ島は、古来から島全体が御神体、「祈りの島」として語り継がれ、謎と神秘の厚いベールに包まれて永く俗塵から隔絶されてきた。

島内から12万点もの国宝・重要文化財が出土しており、「海の正倉院」と呼ばれる貴重な歴史遺産の無垢の宝庫であるため、市民団体と提携したユネスコ世界遺産登録への活動が起きている。また玄界灘を臨む九州屈指の漁港鐘崎は日本海沿岸の海女の源流・発祥の地として知られている。

このような世界的レベルの歴史遺産と玄界灘、山岳、丘陵に抱かれ、海、山、川の豊穣な自然に恵まれ、住宅都市として発展してきた宗像市であるが近年の少子高齢化や地方財政の逼迫の影響を受け今日の地方都市特有のさまざまな問題が山積している。

宗像市の顔ともいうべき中心市街地「JR赤間」駅北口前一帯に展がるセピア色に褪色してしまった廃墟、シャッター商店街の目を覆うばかりの衰退は全国の地方都市、駅前商店街に展開されている荒廃の光景そのものである。

赤間駅は、1日2万2千人、年間約800万人もの乗降客を擁し、JR九州管内第13位の駅であるが、駅北側に自然発生的に雑然と無統一に形成された市の中心商店街は、その規模といい、戦前からの老朽化した住宅と店舗が更新されずに混在するその街並みといい、市の顔ともいうべき中心商店街としてのアイデンティティを持ち得なかったが、案の定、大規模スーパー、専門店の相次ぐ進出でかつての賑わいも消え、時代の流れに翻弄され疲れた顔を秋の陽光に晒している。

赤間駅前北口商店街は、衰退した駅前商店街が共通して持つ負の様相をフルセットで見せている。エレベータやエスカレーターがない年寄、障害者に非情で過酷な駅舎、未整備で狭隘な駅前広場は、辛うじてタクシー数台の乗り場を確保しているが、買い物客のための駐車場はない。

老朽化した低層店舗、年々途絶えいく人通り、廃業でシャッターが下りた店の数は増え続け、櫛の歯が抜けたように目立つ空き地、さらに後継者もなく高齢化した店主は、店じまいが早く、早々に商店街の灯が消え、夜間は人が絶えた廃墟と化してしまう。

沿道に商業集積が並ぶ県道宗像福間線と赤間駅のアクセス軸が脆弱で域内バス便との連結に難がある。駅前商店街の西側を通り抜け、幹線県道の北側からさくら並木の「くりえいとさくら通り」以西に形成された後発の複合タウン「くりえいと宗像」(=スーパー「サンリブ」を核に南に18の郊外型店舗、北に17の郊外型店舗を配す商業集積ゾーン)の賑わいぶりとあまりにも対照的な様相を呈している。

時代の流れに取り残され寂れていく駅前エリアに危機感を感じていた行政をはじめ地元商店主、地権者などは、「座しても死を待つのみ」の現状を打破するため、これまで商店街復活を幾たびか模索してきたが、その長年の努力が実を結ぼうとしている。

そのコアが宗像市による「赤間駅北口土地区画整理事業」である。しかし全国の地方自冶体で中心市街地空洞化の危機感から市街地再開発や土地区画整理事業が数多く試みられているが、その成功例は極めて少ない。本コラムではスタートしたばかりの市と地元商店などによる「赤間駅北口土地区画整理事業」の挑戦をシリーズで取り上げる。事業完成後の商店街再生レポートは多いが、計画段階から同時進行のこの種のレポートは少ないのではと自負している。本題に入る前に当商店街のある宗像市ならびに駅前商店街の概況に言及する。

■宗像市と赤間駅前商店街の概況

宗像市は、人口約95,000人、北九州市と福岡市から、それぞれ約30キロメートルに位置し、両市をJR九州と大動脈国道3号線で結ぶアクセスの良さから両市のベッドタウン、住宅都市として急速に発展してきた。

03年4月1日、隣接の玄海町と合併して誕生した新市の多くの丘陵地には、森林都市、日の里団地、城西ヶ丘、広陵台など大型住宅団地が形成されている。市内には3つの大学が立地し、総合文化施設である宗像ユリックス、むなかたリサーチパーク(アスティ21)があるなど、学術都市としての特徴をもっている。周辺市町村に比べ犯罪発生率が少なく、海・山・川の豊かな自然に恵まれ、人心も情味に溢れ、貴重な歴史遺産探訪の散策もできる宗像市は、「住みよい町」と住民の評価は高い。

しかしながら、近年、住宅団地の住民の高齢化は進んでおり、少子高齢化時代を迎え、福岡市への都心回帰と相俟って市への流入人口は減少している。住宅団地の高齢化と中心市街地の空洞化という病根を併せ持ち、今日、地方都市が抱える共通の課題を抱えている。

次に赤間地区の商業の歴史と商業環境を概観してみよう。

赤間の地名由来であるが、宗像市郷土資料によると神武天皇東征の折、岡湊に着いたとき、吉留にある八所宮の神が赤馬に乗って天皇を迎え、里民に下知し官軍に従わしめ、このことによって赤馬と名づけたという伝承がある。

江戸時代の赤間は、唐津街道に沿う宿場町で、筑前21宿の一つとして、宗像地方の商業・流通の中心として繁栄したが、明治期に入っても筑豊地方を後背地に持つ在郷町としてかなり繁栄が続いた。明治31年町制施行で赤間町となり、行政の中心である赤間と、赤間駅が開業して発展してきた土穴に商店が集積した。

昭和36年6月国鉄が電化され、福岡・北九州へ快速で約30分という通勤時間でベッドタウンとして俄然、注目を集め、通勤通学の乗降客の増加と相俟って赤間駅周辺は商業地として発展してきた。さらに赤間駅を囲む周辺丘陵地で民間の大型住宅団地が相次ぎ供給されたため、背後地の人口も急増し、駅前商店街の発展に寄与した。

赤間駅は北・南の両側に乗降口を持つが、駅南口周辺は、昭和42~44年に実施された土地区画整理事業、昭和46年の南側駅前広場の整備が行われ、さらに99年~05年の赤間駅南口整備事業で駅前広場(約8,300㎡)を整備し、駅舎から南北連絡公共通路を設けた。駅舎南側出口にエスカレータも設けられ改装も行われたが、本来の中心市街地が広がる北口の駅舎や駅前の整備は依然として放置されている。

駅北口の中心商業地の衰退を加速させたのが昭和63年JR「教育大前駅」の開業、さらには赤間駅南に99年11月開業の郊外型大型スーパー「ゆめタウン」(店舗面積約12,901㎡・駐車場1,400台)、駅北に01年11月開業の「サンリブ」(1核1モールの共同店舗、店舗面積22,000㎡)の相次ぐ進出である。広大な駐車場を備えた大型商業施設の進出でかろうじて維持してきた商店街の顧客層の大部分が流出し、商店街は壊滅的な打撃を受けることとなった。

このような状況になるまで行政や地元も看過していたわけではない。市や地元の要望で昭和55年に「赤間駅前を考える会」、翌年には「(仮称)赤間駅前再開発準備組合」が発足し、再開発事業に向けた準備が試行錯誤されるが、テナント誘致などで頓挫する。98年、市は駅周辺整備構想を策定し住民組織が青写真を描いたが財源難から実現が断念された。

■中心商店街再生の時代要請

この時期、全国の多くの地方で再開発や区画整理事業を施行し、思うような成功を収めなかった中心商業地の再生になぜ宗像市は力を注ぐのだろうか、合併特例債という財源が確保された今、長年の懸案であり、市の中心拠点と位置づける赤間駅前整備に力を入れ、目に見える形で合併効果をアピールするという理由も当然にあるだろう。しかしそれよりも重要なのは人口減少という時代背景にあって持続可能な都市規模の再編成を目指す「サステイナブルシティ」や「コンパクトシティ」の全国的な方向性である。

地方の中心商業地は、都市の外延的拡大により郊外部へ住宅をはじめ公共施設などが移転し、さらに郊外部に拡大した商圏を狙って郊外型SCなどが開業することで、中心商業地が甚大な打撃を受けるなど、その空洞化の深刻さは都市構造の均衡と持続性の観点から放置できない状況となっている。

人口減少の進行は地方自冶体の財政負担の制約から拡散した郊外部まで含めて都市規模を維持するのを困難にする。つまり高齢化や環境面からみて車よりも公共交通の活用、資源やエネルギー効率利用、廃棄物のリサイクルからみて中心から拡散しないほどよい規模のコンパクトサイズの都市が好ましいという合意が全国的に形成されつつある。

このような時代背景を受け、経済産業省は「まちづくり三法」を見直すため産業構造審議会流通部会・中小企業政策審議会商業部会合同会議の開催に踏み切り、合同会議は7月8日「コンパクトでにぎわいあふれるまちづくりを目指して」と題する「中間とりまとめ(案)」を公表した。

さらに10月26日中心市街地の空洞化を防ぐため自民党は「まちづくり三法」改正案の骨格をまとめた。人口減少や急速な高齢化をにらみ中心部へ都市機能を集約するのが狙いで大型商業施設の郊外出店規制、病院、福祉施設の立地も許可制にするなどが盛り込まれている。日本に先んじてスーパーストアが出現し、小さな街の中心市街地が崩壊した米国では、既に大型店の出店規制や社会的・経済的・環境的影響調査を義務付けている。

郊外拡散のベクトルを逆流させる中心商業地の活性化の促進は、単なる商業問題に留まらず、少子高齢化社会を迎え環境や社会問題として緊急課題となっている。

■赤間駅北口土地区画整理事業が始動

原田慎太郎市長は、市の中心拠点で新市の顔と位置づける赤間駅北口土地区画整理事業計画を打ち出した。対象地区約3.6ha、平均減歩率16.7%、地権者は商店ら69人。駅前広場(約5,000㎡)にロータリーや駐車場を備えて公園(1,080㎡)を配置、道路も区画道路、歩行者専用道路を整備し、既存県道宗像福間線が県により拡幅される。

11年3月の完成を目指し、総事業費約54億円のうち約35億円を合併特例債で賄うため最初で最大の特例債適用事業となる。地元赤間駅周辺まちづくり協議会も歓迎した。04年6月23日都市計画決定し、事業計画縦覧、県都市計画審議会を経て04年12月7日事業計画決定され、事業が正式にスタートした。土地区画整理による駅前の面的整備により、地権者の土地所有権の組み替えを行って、公共用地を共同で生み出し、現状の狭隘な街路、商店等建築物の老朽化、駐車場不足の解消を図ることとなった。

現在、このエリアは都市計画法で容積率400%商業地域に指定されているが、狭隘道路が多く、形態規制により、高度利用が進まず、旧態依然とした商店舗をはじめ低層老朽住宅などが雑然と混在する現状の街並みが用途別にゾーニングされ、立体的に生まれ変わることになる。

駅前広場を中心とする「まちの顔づくりゾーン」、エリア東部のマンションなど居住区を想定した「快適ゾーン」、エリア西部の商業集積からなる「賑わいゾーン」が当該事業地区を構成する予定だ。住戸中心の「快適ゾーン」はマンションなど都市型住宅の高密な土地利用を促進することで中心市街地の居住人口集積度を高め、事業地内の商業集積への顧客化を図り、市の将来へ向けた「定住化構想」の一環を実現する狙いもある。

市の決断を契機に赤間駅周辺まちづくり協議会では、商店主・地権者などによる商店街再生をテーマとした活発な議論の場が持たれた。協議会は、関係地権者、商店主に事業を円滑に進めるためのアンケート調査を度々行い、佐世保市など商店街再生の成功事例を商店主総出で視察した。まちづくりの基本コンセプトとして「人が集まり、また来たくなるまち」、「人とふれあうやさしさのあるまち」、「緑とゆとりがあり楽しく回遊できるまち」が打ち出された。さらにまちづくりの申し合わせとしてバリアフリー化やデザイン、色、形が統一性のある建物、店舗づくりなどの提案を行い、関係地権者や商店主に統一性のあるまちづくりへ向けた協力を呼びかけた。ここにきて行政と地権者、地元商店主などが連携し、市の中心拠点づくり、駅前商店街復活に向けた挑戦が始動した。

中心市街地の衰退に悩む全国の地方自冶体は、「大規模小売店立地法」、「改正都市計画法」と3点セットで手当てされた「中心市街地活性化法」で中心市街地活性化にむけたさまざまな試みをしているが、成果が思うように上がっていないのが実情だ。中小企業庁「商店街実態調査」でも「停滞または衰退している商店街」は前回より増加して96.6%を占め、一方、繁栄している商店街は僅か2.3%にすぎない。家業的零細資本の集合体である商店街の衰退は、近年、顕著な国内商業の構造的問題なのである。

宗像市は、住宅都市としての環境配慮から無公害型、非用水型の企業に進出を限定しているため、市内に企業の数が少なく、昼間人口も少ない。このため赤間駅周辺に立地する「サンリブ」や「ゆめタウン」など大型スーパーも予想外に苦戦している。ましてや売場面積、専門店の集積規模、駐車場不足などハード面でハンディがある小規模商店街は、新しい時代にマッチした業種と商品の新陳代謝を高め、激変する市場環境への迅速な対応を可能にする柔軟で可変的なプラットホームを構築しなければ生き残れない。

再生に重要なのは総合スーパーや郊外SCに提供できない小規模店ならではの接客サービスによる魅力ある個店づくり、さらには地域の観光や産業、異業種との提携による独自商品開発である。幸い市には「海のシルクロード」、「沖ノ島の歴史遺産の宝庫」の世界遺産登録などインパクトが強烈な歴史遺産や観光資源が豊富にある。

市の玄関口ともいうべき駅前広場に市民交流センターなどが設置されれば、これらとリンクした観光インフォメーションや歴史思索のためのシンボリックな機能が施設に付加されるであろうが、商店街の集客に還元する仕組みを戦略的につくれば効果的な再生策となるだろう。

近年、まちづくりは従来の箱モノ中心の開発偏重型から歴史遺産や自然を生かした多様な価値観を有する都市アメニティの高い都市形成へ方向転換している。歴史や文化的遺産、自然、景観を重要視するまちづくりの試みは、強力な磁場となり、それらに共感する感性を持った人材を吸引し、新たな商業集積の担い手として育むはずだ。

また外部資本の新規流入により活性化をはかるのも効果的だ。例えば商店街の空き店舗を借り上げ、それを起業意欲の高い若者に一定期間無料などの条件で貸して、商店街に新しい風を吹き込む「チャレンジショップ」の試みである。チャレンジショップを成功させるには空き店舗を埋めるという発想でなく、新業態を商店街全体で育て活性させるという強い意志が欠かせないようだ。

これから増える高齢者等をターゲットとした商店街づくりの視点も欠かせない。徒歩圏内の高齢者等は、車主体で立地された総合スーパーなどを避け地元商店街の有力顧客になる可能性が高い。高齢者は、加齢とともに視力が低下したり、ちょっとした段差にもつまづきやすくなる。こうした身体の老化に配慮して、店内表示の文字を大きくしたり、段差をなくしたバリヤフリーにするなどの配慮が必要となる。高齢者は市や縁日などのイベントを楽しみにしている傾向があることも見逃せない。商店街近くに行政の窓口や買い物相談窓口があると、高齢者は助かるため市と連携した施設設置も重要となる。

区画整理や再開発など容れもの、インフラ整備にのみ頼る金太郎飴のような没個性の再生は殆ど失敗している。周辺の街並みと無統一な異質の箱の出現が住民に受け入れられず閑古鳥が鳴いているケースは枚挙に暇がない。その地域の歴史や自然、景観と融合した容れものにさらに地域の独自性を盛ることが重要なのだ。中心商業地の再生は、大型スーパーや郊外SCの規模の論理だけが貫徹しない多様な消費者のニーズに応えうるユニークで魅力的な商業空間の創造にある。勿論、空間創造というハードだけでなく、無機質の大型商業施設にはない人間同士のふれ合いといういつの時代にも不変のソフト面の充実が求められている。

宗像市による赤間駅北口土地区画整理事業はスタートしたばかりで、仮換地指定が来春になされる予定だ。次第に計画の全体像が明らかになってくるが、本コラムでは駅前商店街再生を中心に今後も事業進捗に合わせレポートする予定である。

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