インフレターゲット政策は地価上昇に有効か

1、デフレの長期化

失われた10年、日本経済はこの10年潜在成長率を下回る成長率しか達成できていない。消費者物価で計測したインフレ率もGDPデフレーターでみたインフレ率もマイナスになっており、そのマイナス幅は益々拡大している。

物の値段が下がれば企業収益は落ち込むが借入金の金利支払いは変わらないため負債の実質負担が増え、企業経営が圧迫されるためリストラ、賃金カットで対応、耐えられなくなった企業は相次ぎ倒産に追い込まれる。銀行は企業の経営不振で不良債権が増える。政府は税収が減り、失業対策の財政支出がかさむ。さらに国債を大量に抱える国にとっては問題はさらに深刻になる。個人はリストラ、賃金カットで生活防衛的になり個人消費は冷え込み、企業収益をさらに減少させる。

消費も下がるし投資も減少となれば総需要がさがり、総需要が下がれば供給が需要を上回る。買いたい者の数よりも多量のモノが市場に出回るようになり価格が下がる。デフレ・スパイラルの循環に陥ってくる。

不動産など資産価格の下落は資産を保有する個人、企業の消費意欲をそぎ、負の資産効果が総需要を低下させ一般物価を下落させる。資産デフレが急速に進むと不良債権はさらに積み上がり、健全な貸し手にも資金が回らなくなり、不況はさらに深刻となり、一般物価は下落する。

債務者の破綻と不況、一般物価下落が相互作用で悪循環になっていくデット・デフレーションにも日本はすでに陥っている。

2、最近の政府の動き

政府関係者や政治家から、日銀に対して、インフレターゲットの導入が要請され、その可否を巡って多様な議論が巻き起こっている。

自民幹事長は、インフレターゲット政策について、1~3%の物価上昇率を目標にすべきだとの意見が大勢を占めているとしたうえで、物価目標の設定をすべきだとの考えをあらためて示した。幹事長は、「これについては賛否両論あるが、私個人は前から主張してきたことだ」とし、インフレターゲット導入を求める考えをあらためて示した。

総理は23日の衆院予算委員会で、日銀によるインフレ目標について「本格的に導入したら批判の大合唱になる」と述べ、導入に慎重な姿勢を見せた。速水総裁の任期も残り少なくなっていることから、銀行不良債権加速処理と並んで日銀法改正やインフレターゲット論が今後話題になることが増えそうだ。

3、クルーグマンの調整インフレ論

米MIT教授クルーグマンは「ニューズウィーク」で「プリントザマネー」日本はもっと円を印刷すれば不況から脱出できると論じた。それはそれまでの手詰まりな金融政策に意表をつくアイデアであった。彼はその後「日本がはまった罠」と言う論文を書いた。

名目(短期)金利がゼロ金利に近くなった日本経済は「流動性の罠」に陥ったとし、そうした状況から脱却するためには「期待インフレ」を生み出さなければならないという議論を展開した。期待インフレが高まれば実質金利が低下する。それによって経済は流動性の罠から脱却できるというわけである。

この実質金利の関係をアーヴィング・フィッシャーの方程式で説明すると、名目利子率、実質利子率、人々の予想物価上昇率(=期待インフレ率)の関係は、以下の式になる。

名目利子率=実質利子率+人々の予想物価上昇率
実質金利=名目金利-期待インフレ率

仮に予想物価上昇率が2%とすると、2%の利子が付く金融商品を購入しても、物価も2%上昇しているため、実際の金融商品の価値は増加していない。この場合、実質利子率は0%である。

現在、日本の名目金利はゼロベース、期待インフレ率はデフレでマイナス、つまり実質金利はプラスである。名目金利はゼロベースなので実質金利はこれ以上減らないが、期待インフレ率が大きくなれば可能となる。つまり期待インフレ率がプラスなら実質金利はマイナスになり金融資産の価値が減少し、株や不動産、他の財、サービスを購入し消費や投資に向かう。

金融当局は名目金利はコントロールできるが、デフレが激しいと実質金利が上昇して、かりに名目金利がゼロになっても実質金利はかなり高くなり、市場にある貨幣の量を増やせなくなる、その結果、供給力に見合う総需要を創出できず需給ギャップが拡大する。

クルーグマンは日銀が事実上ゼロ金利にして量的緩和も進めているのに消費や投資のための貨幣量が増えないのは、少子高齢化など将来の悲観要因が多いため日本人の多くは現在より収入が減って経済的に厳しい状況になるという判断をしているからと診断した。彼は4%程度の調整インフレを主張している。

「構造改革をしても供給力が上がるだけで需給ギャップはかえって大きくなる。財政出動してもしないよりましだが減税など全く効果ない。効果があるのは金融政策でそれも説得力のあるやり方で日銀がインフレを起こさせると宣言して実質金利を引き下げることだ」(東谷暁著「誰が日本経済を救えるのか!」)

4、インフレはおこせるか

長引くデフレでインフレが本当に起きるのか、政策で起こすことができるのかという疑問があるが、インフレ・ターゲット政策論者は可能だと言う。インフレ・ターゲット政策とは年間の物価上昇率を1~3%の範囲内といった数値目標として定め中央銀行はその目標を達成するように金融政策を行うと宣言することである。

●具体策

その具体策として、「インフレ・ターゲティング」(伊藤隆敏著)は下記1~3を挙げている。

  1. 適切な物価指数
  2. 諸外国でインフレ・ターゲット政策を導入している国が目標設定として採用している物価指数はほとんど消費者物価指数である。生活に密着しており生活実感にあっていることが挙げられる。「GDPデフレーター」という物価指数もあり物価動向を知る上では消費者物価指数よりも優れた点もあるが調査から発表まで3ヶ月から6ヶ月かかる

  3. 数字目標の設定水準
  4. 消費者物価指数は製品の性能の改良などで上方にバイアスがかかつている(実際の物価動向より高い数値が出る)さらに賃金の下方硬直性などを考慮すると山崎幹事長の言う1~3%程度の物価上昇率が目標設定とされる

  5. 期間の設定
  6. 金融政策を発動してから効果を持つまでに6ヶ月から1年かかる。つまり金利を調節した場合、その調節された金利に反応して、消費者や企業が行動を変えて、投資や耐久消費財の購入といった行動に結びついていくのに何ヶ月か掛かつてその後、注文を受けて、生産や在庫を調整し、実際に大きな形で経済に影響を持ってくるというのに6ヶ月から1年ぐらいかかる

海外ではインフレ・ターゲットをやって成功しているケースは多い。しかし日本と違いインフレ率が高止まりしていたためインフレ期待率を下げるために高すぎるためにやったものでデフレをインフレにするためのインフレ・ターゲットは1930年代初頭のスウェーデンで行われたケースを除き前例がない。スウェーデンの場合、数値を設けない物価水準目標であって、インフレ目標が金融緩和だけではなく、為替の切り下げと公共事業の拡大の複合的政策で実現された。最終的には不況の深刻化で打ち切られており、日本の状況と時代も、政策内容も異なるので参考にできない。

●量的緩和はどの経路で効くのか

インフレ・ターゲット政策がどのような経路をたどって経済を刺激していくのか、その波及の仕組みには、

  1. 金融当局が外国為替市場で徹底的な単独介入をし、円を売ってドルを買い円安ドル高にすると同時に貨幣供給量を1ヶ月で1%程度増加していく。さらに為替介入権(現在財務省にある)を日銀自身に与え、円安誘導を日銀に採らせることが、政策の一貫性を持たせる上では有効である
  2. 為替市場の経路は為替変動で影響を受けやすいと予測し、それより長期国債買いきりを行えば、投資要因がなくても投機要因によって通貨需要が生まれ通貨供給量適切な規模にコントロールできる
  3. 長期債購入の増額をしてもデフレが止まらない場合は実物価値に裏打ちされた資産を買う。例えば日経平均やTOPIXなど株価指数連動型投資信託や不動産投資信託(J-REIT)を買う。ただこの場合、日銀法の改正が必要となる可能性があり、価格に変動がある商品のため日本銀行のバランスシートを毀損した場合の責任が議論される

5、インフレ・ターゲットをめぐる政策論争

●インフレ・ターゲット政策積極支持派の論点

伊藤隆敏著「インフレ・ターゲティング」によると政策の優れた点として1~3を挙げている。

  1. 数字で目標と責任を明確にする
  2. 日銀法第2条に物価安定が日本銀行の目標として明記されているが数値の記載はない。物価安定の目標を水準、範囲など数字で明確にすることにより中央銀行の目標と責任を明確にすることができる

  3. 中央銀行が独立性を確保し説明責任も発生する
  4. 数値目標は中央銀行は責任をもつことは明らかだが、その金融政策の手段については、政府、政治家、財政当局などの中央銀行以外のものが干渉すべきでない。手段に関しては日本銀行が独立性を持つ。日本銀行は目標の実現に責任を持つため金融政策の目的を透明にすることで説明責任を持つ

  5. 期待インフレ率を安定化させることができる
  6. 物価安定数値目標策を遂行することによって民間が中央銀行に期待をよせるならば将来のインフレ率のレンジは目標あたりに納まるだろうという信頼ができる

エール大学浜田宏一教授は日本経済新聞「経済教室」欄約1ページにわたり積極支持派の立場から論文を掲載している。日銀の現状の量的緩和政策の問題点さらに不支持派の論点に対し反論を述べている。

現在の日銀は量的緩和策の一環として日銀当座預金を段階的に増加させている。日銀のベースマネーは外貨預金と当座預金の和でありベースマネーの大幅増加のスタンスを取っている。しかし銀行を除く民間セクターの消費・投資に影響するのはベースマネーでなくその保有する現金通貨と預金通貨を足したマネーサプライであり、通貨の素のベースマネーは1種のふくらし粉(これを信用乗数という)によってマネーサプライに拡大されていく。

金融政策に対する第一の障害はこの拡大メカニズム年々弱まっていることである。1992年に13を超えていた信用乗数が現在は8以下になっている。日銀の手元ではジャブジャブのお金が信用乗数過程を経ると民間セクターの手には少ししか残らない。

金融政策波及への第二の障害はこの緩やかに供給されるマネーサプライがどんどん保蔵されてしまうことである。デフレ進行中の現在、株や土地への投資より預金や現金での保有意欲が高い。

01年からの信用乗数の急速な下落は銀行の銀行の預金準備比率の増加による。不良債権の影響で銀行が貸し出しに慎重になっているためだ。預金準備比率増加の背景には将来のデフレ期待のもとで企業に収益力が乏しいことや資産デフレで担保価値が下落して企業投資、新機軸が阻害されて貸出先がないことなどの要因がある。デフレ期待が払拭されれば信用乗数が回復する。そのためにインフレ目標が有効なのである。

さらに「日銀はインフレ目標を達成する手段を持たず仮にインフレが実現すると日銀にはインフレを止める手立てがない」という不支持派の見解に対し外国為替市場への介入、長期国債のいつそうの買いきりオペ。さらに必要ならば株価指数連動型上場投資信託(ETF)不動産投資信託(REIT)などの買い上げを併用すればインフレ達成は可能と反論する。またデフレが延々と続いているのにインフレのことを考えるのは気が早い。第一次石油危機を無事速やかに乗りきった日銀にインフレが止められないはずがないと反論。

海外からの輸入品が安くなっているのでデフレになるという議論について相対価格と絶対価格を混同するもので根拠がない。変動相場制のもとでは金融政策により為替レートを変えられるので各国は原則として独自な価格水準を選べる。為替レート変動に対する相手国の抵抗に対処するのは財務省そして経済外交一般の任務であると反論。

●インフレ・ターゲット政策不支持派の論点

(イ)デフレは日本経済の構造問題にあり金融政策は有効でない

日本経済の病根は構造問題にあり金融政策では救済できない。日本のデフレ、資産デフレは企業部門の過剰供給・低収益構造に根ざす深刻な構造問題である。

「銀行は追い貸しや債権放棄によって非効率産業を温存し、政府も硬直的支出構造を維持することで過剰供給を側面から支持してきた。将来の家計所得、企業収益の向上が見通せないため、消費投資は伸び悩み、持続的な需要創出も困難だ。この基本認識に立てばなぜこれほどまで需要不足とデフレが長期化するのか理解できよう。」(神戸大学宮尾龍蔵教授・日本経済新聞)

さらにデフレ克服に必要なのは「企業の過剰供給解消と収益力強化を目的とする供給サイドの政策パッケージである。銀行の不良債権処理と不良企業の退出を加速させ過剰供給の解消を目指す。同時に有望事業の再生によって企業部門全体の収益力を高める。さらに大胆な法人税率引き下げを行って企業のファンダメンタルズ向上に直接働きかけ、また政府与党は非効率産業への補助金的な移転支出を削り恒久減税の財源確保と資源配分の適正化を同時に図る。」

(ロ)上限を撤廃した無制限な国債買いオペは高インフレを発生させる

上限を撤廃した無制限な国債買いオペは日銀に対する信任を喪失させ目標幅を大きく超える高インフレを突然発生させる可能性が高い。その後に急激な引き締めに転じてインフレ抑制を目指せば景気は急激に悪化する。

(ハ)インフレターゲットを導入しても期待インフレ率はすぐに変化しない

日銀は2001年3月から「新しい金融調節方式は、消費者物価指数の前年比上昇率が安定的に0%以上になるまで継続するとして実質的にはインフレターゲットと同様に目標を設定したが効果は見られなかった。

5、インフレ・ターゲット政策は地価上昇に有効か

地価下落により、担保価値が下がり、新たな不良債権が累積されている。不動産など資産価格の下落は資産を保有する個人、企業の消費意欲をそぎ、負の資産効果が総需要を低下させ一般物価を下落させる。資産デフレが急速に進むと不良債権はさらに積み上がり、健全な貸し手にも資金が回らなくなり、不況はさらに深刻となり、一般物価は下落する。

下記のインフレ・ターゲット政策シナリオを徹底して実行すれば資産デフレはかなり改善する。

まず、土地など資産デフレを解消するために消費者物価を3~4%程度上昇させるというインフレ・ターゲットを明確に宣言。市場に大量のマネタリーベースを持続的に供給しつづける。無制限の中長期国債の買い切りオペの増額に踏み切る。日銀が3~4%程度のインフレが実現するまで徹底的に量的緩和を続けることを宣言すれば、それを織り込んで株価は上昇に転じる。金融当局が外国為替市場で徹底的な単独介入をし、円を売ってドルを買い円安ドル高にする。さらに為替介入権(現在財務省にある)を日銀自身に与え、円安誘導を日銀に採らせ政策の一貫性を持たせる。円安をつくりインフレをサポート、輸出を下支えする。円安誘導に対する相手国の抵抗に対処するのは財務省そして経済外交一般の任務となる。

量的緩和でデフレ期待が払拭されれば銀行の預金準備比率は減少、信用乗数が回復し、マネーサプライは拡大し民間セクターである企業の資金繰りは楽になる。規制緩和やリストラにより、不良債権の処理や雇用調整などが進めば、企業は新規投資に積極的になるため、金融仲介機能の改善と相俟って地価の下落にある程度の歯止め効果がみられよう。

個人もゼロ金利のもとでペイオフの不安などで所謂タンス預金してたものを量的緩和で期待インフレ率がプラスなら実質金利はマイナスになり金融資産の価値が減少し、株や不動産を購入する選択も増えよう。

さらに日銀が不動産投資信託(J-REIT)を直接、市場を通して購入すると、J-REITを導管とする不動産の流動化に弾みがつき先安感で萎縮した不動産の価格にかなりのインパクトを与える。(価格維持効果は一時的なものになるという見方もある。)

インフレ・ターゲット政策が地価下落のある程度の支えになることはあっても地価が反転して上昇することを予測するには不動産のファンダメンタルズは悪すぎる。不動産市場は、先行きの少子高齢化や企業にITがビルトインされ不動産不要若しくは縮小化が進み、中国への生産拠点の移転、地方の疲弊、減損会計による不動産の非保有化など構造的問題があるうえ、オフィスビルの供給過剰、首都圏で在庫1万戸といわれるマンションの過剰予備軍、世帯数を上回る持ち家戸数など需給バランスの是正は金融政策サイドだけで解決できる問題ではない。構造的要因と需給ギャップの複合要因で地価の収斂・下落の傾向は当分続くだろう。

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