最近の犯罪に見る心の闇
21世紀を迎えて間もなく身も凍るような事件が発生した。世田谷の一家4人惨殺と、仙台の29歳の準看護士による無差別殺人だ。世田谷の事件は専門家による様々な犯人像が取りざたされている。仙台の準看護士は、TVの写真や取材から浮かび上がるイメージでは、ごく普通の青年である。殺人に至った動機として「待遇に不満があった」「医師の腕を試したかった」と言っているそうだ。最近の殺人の特徴としてその動機の異常性があげられる。従来までは金ほしさの強盗、相手に対する憎悪からの殺人などで殺人に至るシナリオにはそれなりの理由があった。最近は、「人が死ぬのをみたかった」「誰でもよいから殺して目立ちたかった」など殺人という罪を代償にするには動機が異常に軽い。生命の尊厳や重さに対する認識が決定的に欠落している。
識者は最近の犯罪をテレビゲーム世代の特性と言う。バーチャルな空間で数え切れない沫殺が無機的に行われ、殺人もゲーム感覚でなされリアルさが希薄になったからだ。映画やビデオの残酷シーンも影響しているとも言われる。メディア側は当然反論する。確かに映像の芸術性や娯楽性から見ると反倫理的部分を故意にカットしてしまうのは作品をつまらなくしてしまうかもしれない。しかし明らかに行き過ぎと思われるシーンが数多くあるのも否定できない。
政治家は戦後の教育に倫理道徳が欠けていたためで教育改革を提唱する。しかしこれで解決するかは疑問がある。学校で倫理道徳をカリキュラムに取り入れても社会や家庭が精神的に荒廃している現状では空虚な経文になりかねない。
現代の心の闇は、社会や家庭、学校などで精神的規範となるべきモノを全て失い、喪失感を感じることもなく競争社会を熾烈に生きるかドロップアウトするしか選択肢がない日本人の逃れようのない業と言えるかもしれない。
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